新しい年に思うこと

       カトリック松山教会・担当司祭
        ルイス・グティエレス神父
 新旧のカレンダーを取り換えるとき、ふと思ったことですが、忘年会≠ニいう言葉は、あまり好きではありません。
 過ぎ去った「年」のことを全部忘れてもいいのでしょうか…?去年1年を振り返って、いろいろ考えてみることも、この新しい1年に向けてとても大切なことだと思います。
 1年に限らず、1日を振り返って反省するときもそうですが、反省というと何よりもまず、今日1日の間にやってしまった失敗をいろいろ数え立てて「あんな悪いことをしてしまった」「こんな罪を犯した」と考えるのではないでしょうか。

 もちろん自分の失敗を思い起こすことは大切です。でもそうやって自分の失敗ばかりを考えることが、果たして本当に良いことなのでしょうか。
 皆さん、今日1日を振り返えるとき、今日、することのできたいいことも考えてみましょう。
 そのいいことの一つ一つが、何か小さな当たり前のこと、数えるにも値しない、つまらないことのように思えるかも知れません。よほど大きな、それこそ死にかけている人を救ったというような出来事でもない限り、何か特別に「今日はいいことをした」などとは思わないのが普通でしょう。
 でも、果たして、私たちが実行することができたいいことの一つ一つは、私たちが自分の力だけでやれたことなのでしょうか。
 「自分の力だけでやった」と考えてしまえば、つまらない出来事のようにしか思えないかも知れません。
 日々の生活の中で、私たちが実行することのできたいいこと、たとえそれが小さなことであったとしても、その一つ一つは「自分の力だけでやった」のではなくて「神が私のうちに働いて下さった」からできた、のではないでしょうか。

 そうだとしたら、「神はこんなちっぽけな、つまらないことしかしてくれないのですよ」などと不平不満が言えるでしょうか。いや、よくよく考えてみて、そんなことはとても言えないでしょう。
 そうです。私たちの生活は、その隅々まで、神の恵みに満たされているのです。朝起きて「お早う」とにっこり微笑む。そんな一見つまらない出来事でさえ、神が働いて下さったおかげでできたのだと考えるなら、私たちの1日が神に守られ、恵みに満ち満ちたものだと気付くことができるでしょう。
 去年1年、神が私たちのうちに働いて、どれほどのいいことをさせて下さったか、年の初めに考えてみましょう。その泉のように溢れる恵みをしみじみと味わいながら、過ぎ去った1年に感謝し、明けた2015年が素晴らしい年でありますように、希望に満ちた願いを祈りたいものです。