信仰表現 今後の課題
   典礼憲章に基づく刷新 <7>

       カトリック松山教会・担当司祭
              ルイス・グティエレス神父
クリスマスと新年 おめでとうございます。
 今年も松山教会の目標「出会う人に よい知らせを」伝えていくよう励みましょう。
 バチカン公会議50周年の大きな節目に、私たちは「信仰年」を歩み、多くの気づきと学びがありました。
公会議以後、典礼は目に見えて大きく変化しましたが、公会議の意図したことが完全に実現したわけではありません。形の刷新が、内容の刷新にまで染み及んでいくように、また典礼が私たちの信仰の生きた表現になり、神の恵みをよりよく伝えるしるし≠ニなるように、更なる刷新に努めていかねばなりません。
 信仰年の体験を通して、今後の刷新の課題となる点を考えてみましょう。

翻訳から自国の言葉へ……文化的土着 

 公会議を機に、典礼が自国語で行われるようになりました。そのことを振り返って、言葉一つ一つが分かっても、心に強く訴えるような典礼文の内容とまでは言い切れないように思います。
 私たちにとって、たとえば「栄光の賛歌」や「感謝の賛歌」など、どうもピント来ないところがあります。それは典礼文が翻訳で、言葉は日本語になっていても、表現はラテン語的な表現だからではないでしょうか。
 信仰表現の仕方は、言い回しもしぐさも過去のヨーロッパの人々が生み出したものの借り物で、それを忠実に翻訳したものを、そのまま表現しようとしているからでしょう。
 インカルチュレーション(文化的土着)の課題として、日本人が自分自身の信仰表現の仕方を発見していくよう努めていかねばなりません。
 例えば、典礼文について言えば、信仰にも、聖書や教会の伝統にも深く親しんだ人たちが、日本人の心から湧き出てくる神への賛美を自分の言葉で表現しようとします。
 こうして賛美の歌が数々生まれてくる中から、日本人の心に深く訴えるような祈りが出来上がるのではないかと思います。
 そのためには、日本人の心の琴線に触れるような信仰表現が育っていく土壌づくりが大切です。仮に相手が恋人だとして、愛情を表現するために、他人の言葉やアイデアを借りるよりも、自分の言葉を生み出し、自分のやり方を考え、工夫することでしょう。どうやって愛を伝えるか苦心するだろうと思います。
 私たち信者も、神の愛を表現するために典礼や祈りの中で一人一人がもっと工夫することを学び、その雰囲気を育てていかねばなりません。
 言葉について言えば、同じように、しるしについても言えるでしょう。しるし(シンボル)は、言葉以上に強く人の心に語りかけます。
 神社に例えるなら、木立の中を通り抜け、石段を上り,鳥居をくぐって玉砂利を踏み、鎮守(ちんじゅ)の森に湧き出る水で手を洗い、水を含んで口を清める。これら一連のしるしの中で、神聖なるものと、それに近づくための心の準備が出来たことを感じさせます。
 何ら説明がなくとも、言葉以上に強烈に語りかけるものがあます。すべての日本人にピンと来るようなシンボルです。
 それに比べ、私たちが典礼で使っているシンボルには、やはり借りて翻訳したようなシンボルが多いことに気づきます。
 聖堂の建築様式や装飾、また祭服や聖具もみんなシンボルとしての働きをもっていますが、現在のところ、翻訳など借りものが多く、一般の日本人には理解しにくく、ピンと来る内容に乏しいものを感じます。
 しるし(シンボル)とは、直接人の心に訴えるような、沈黙の中に醸(かも)し出す表現です。私たちは現代の日本人、特に若者の心に響くような言葉や信仰表現を発見しなければなりません。
 これは宣教の面から考えて、とても重要なことなのです。さらに英知を養い、想像力を豊かに働かせたいものです。