平和・・・・・・(?)

       カトリック松山教会・担当司祭
              ルイス・グティエレス神父
『あなたかたは、わたしが地上に平和をもたらすために来たと思うか。そうではない。言っておくが,分裂だ』。
イエスは『平和をもたらす人は幸いである』(マタイ5.9) と言い、弟子たちを派遣される際には、どこかの家に入ったら『この家に平和があるように』(ルカ10.5)というあいさつをするよう勧めています。また復活したのち弟子たちと再会したときには同じ言葉であいさつしました(ヨハネ19.20.21.26)。
しかし、イエスの言う『平和はこの世で言う平和とは違います(ヨハネ14.17)。
平和を守るためと言って,「敵」と定めた人々とその周辺の市民、その高松教区の信者さん、女性と子どもをいじめたり、国民の自由(信者の自由)を奪ったりすることは、イエスの言う『平和』ではないようです。
また『平和』を乱さないために、政治家、教会の管理者は、会社の不正、教会の不正を隠したり抵抗したりしないこともイエスの言う『平和』ではありません。

逆に、抵抗、告発によって分裂が起きたとしても、そこからイエスの言う『偽りのない平和』が生まれるはずです。
身近なところから、私たち松山教会の信者の皆さんは偽りのない『平和』を実現する人になるために勇気を祈り求めます。
不正のあるとき、人々が差別され、不利な立場に追い込まれているときは、キリスト信者として対立するしかないでしょう。
これは政治家に対しても、教会の上司に対しても言えることです。教会内、家庭内でも、そうであるように求められているに違いありません。
対立することを恐れない勇気を求めながら、対立のための対立にならないことです。相手自身を否定してしまう分裂で終わらないように、対話と理解を続ける光を祈り求めなければなりません。教皇フランシスコもつい最近、これと同じようなことを伝えています。
『地上に火を投げ入れるために、わたしは来た』とイエスは言われます。私たちが、そのことにどれだけ真剣に正面から向き合おうとしているのかを問いただす言葉に聞こえます。あなたは逃げてはいませんか…?避けてはいませんか…?と。
人間同士がいくら利益や人情でつながっていても、それが神の望みにかなっていなければ、真理である神の言葉はそれを見抜きます。