道 徳 の 救 い

       カトリック松山教会・担当司祭
              ルイス・グティエレス神父
「救いの福音」と言われても、私たちにはピンとこないことが多いのではないでしょうか。救いと言うと、宗教的なことが分かる人でなければ深くは考えません。
しかし、道徳と言いますと、どんなに宗教的な人も、また軽視する人でも、正しく守らなければならない無神論的時代には、道徳だけが人間にとってとても大事なことと考えられるのではないでしょうか。
そうだとすれば、キリストの救いというのは、人間の道徳に関してどんなことをもたらしたのかという点も明らかにしなければ、救いに意味があるのかどうか分かりません。
さて、福音によりますと、キリストは道徳に対しても決定的な救いをもたらしたことが分かります。つまり、キリストは『新しい掟を与える』といっているからです。

では、その新しさはどこにあるのか、本当に新しいのか、その問いに対する答えは、次の言葉に決定的に述べられています。
『わたしがあなたがたを愛したように、あなたたちも互いに愛し合いなさい』(ヨハネ15.12)。倫理学的に言ってこの掟の新しさは、全く徹底しています。と言うのは、掟というのが、もう冷たい、形式となることなどあり得ないものだからです。
つまり、愛の掟と言っても、この愛が抽象的、観念的な考え方によって規定できない内容を持つものとなったからです。
それは『わたしがあなたたちを愛したように』と言う言葉によって単なる愛の観念ではなく、イエスキリストというお方とその限りない愛が表されているからです。
今までのように道徳の掟を自分の頭で考えて、自分なりに実践して自己満足に陥ったり、自己義認をしたり、形どおりの守り方だけするような、非人格的な道徳的行為は、もう、道徳とは言えなくなったのです。
キリストの救いは、私たちの非人格化されやすい道徳、すなわち、道徳主義の代わりに本当はわれわれ自身、心のどこかで求めている真の道徳、つまり神との人格的交わりとしての道徳を可能にしたことにあります。
ただし、このような道徳は、キリストとの一致による新しい命に生きるときにのみ実現されるのです。そのためにまず、われわれの命そのものが新しくされなければなりません。