ミ サ と 秘 跡

教会共同体としての責任
      典礼憲章に基づく刷新 <6>
       カトリック松山教会・担当司祭
              ルイス・グティエレス神父
シリーズで取り組んでいるこの企画は、「みこころ」の1月号に続いて"7つの秘跡≠ェ教会共同体の中で深く結びついていることに思いを深めながら、その意味を考えてみましょう。
典礼憲章は、6世紀ごろまで行われていた洗礼志願者の制度を復活して、3段階の式を設け、それによって入信のプロセス≠ノおける教会共同体の責任を重視しています。
 幼児洗礼の場合、親に信仰の自信がないと、洗礼を授けないというほど、親の責任を強調し、それを式の中でも明確に示しています。
 また、なるべく共同体全体のミサ(例えば主日のミサ)の中で、洗礼式を行うように勧めて、洗礼が共同体全体に関わる秘跡であることを表そうとしている、などの点が注目されます。

特に重要なポイントは、洗礼志願者の制度で、入門式、洗礼志願者の式、洗礼式と、段階的に教会共同体の中に入り、信者の交わりに加えられていくようにつながりを持たせながら、同時にその期間における共同体の役割を強調している点です。
それで、以前のように、洗礼を受けるまで大部分の信者は顔も知らないとか、大祝日の前日にごく少数の信者だけが参加して洗礼が行われ、信者全体には広く知られていない、などといったことがないように配慮されました。
 この新しい入信式の意味を本当に生かすためには求道者が教会に迎えられる最初の時点から、信者のグループが積極的に働きかけて共同体に迎え入れ、求道者の教育の期間を通して共に歩んでいくものでなかれば、単なる形式の変化に終わってしまうでしょう。
 新しい入信式は宣教する共同体としての存在を、前提としているからです。
 回心の秘跡は教会全体の行為
 それでは回心の秘跡について考えてみましょう。
 新しい式は、この秘跡についても「共同体全体の回心の行為」であることを強調しています。
 現代の個人主義の影響を受けている私たちは、ともすると、罪や赦しや回心を「わたしと神」との個人的な関係として考えがちですが、聖書的な、あるいはキリスト教的な考え方はそれらを、もっと共同のものとして取り組みます。
 つまり、罪は共同体全体を傷つけるものであり、だからこそ共同体とも和解なしで罪の赦しはありません。ですから初代教会の信者たちは、共同体全体に公に罪を告白して、赦しを願いました。
 また主の祈りの中で「わたしの罪を…」ではなく、「われらの罪を赦し給え」と祈りますが、個人個人の責任ではなくても、共同体全体の罪というものもあります。
 新しい回心式は、個人的な赦しの秘跡と共に共同回心式の形式をも取り入れ、少しでも共同体全体の和解と回心を意識させ、同時に人類全体の回心と和解のために祈り続ける教会の使命を思い起こすのです。
 秘跡は、たとえ個人的に行っていてもそれ自体教会共同体の行為であることを忘れてはならないのです。