聖書 毎日読みましょう 
       カトリック松山教会・担当司祭
              ルイス・グティエレス神父
私たちカトリック信者は、毎日ミサのときに聖書を読みます。神の御言葉は、ご自身の命と心の表れであり、人(私たち)に語りかける神の愛そのものです。
この神の愛そのものである御言葉は、ついには人となり、私たちの中に宿るイエスキリストとして現れました。
同じ御言葉は、また人の手にとって書き印され、聖書として私たちに与えられました。今に時代の人にも…。
素直な心をもって、この御言葉に聞き従うことこそ、信仰であり、私たちの命の源、糧でもあります。
聖書を読むことを通して、私たちはこの神の御言葉を聞き、生きた御言葉であるキリストを知ることができます。
預言者エレミヤは『わたしは御言葉を与えられ、それをむさぼり食べた。御言葉はわたしの喜び、心の楽しみ』(エレミヤ15.16)と述べていますが、聖書を読むことの尊さは、ご聖体と比べることができると思います。

『わたしの肉を食べ、血を飲む者は永遠の命をもつ』(ヨハネ6.54)と言われ、『わたしの言葉を守るなら、その人は決して死ぬことがない』(ヨハネ8.51)とも言われています。
毎日聖体拝領するのは、よほど恵まれた人にしかできませんが、毎日聖書を読むことは誰にでも出来、しかも聖体拝領と同じ尊い信仰の糧なのです。
「典礼憲章」は『キリストはご自身の言葉によって、信者の内に現存される』と前置きして、御言葉の祭儀を『神の言葉の食卓』と呼び、いけにえの食卓(聖体拝領)との対比関連を表していますが、典礼における御言葉の朗読は、聖体拝領と同じく、私たちとキリストを結びつける重要な糧なのです。
聖書朗読に当たっては、聖体拝領に近づくのと同じ敬虔さ、熱心さで言葉の一言一句をも逃さずに味わいたいものです。そのために、御言葉の朗読の後には(ちょうど聖体拝聴の後のように)沈黙して味わう時間がほしいものです。
一方、朗読する人は、聖体を捧げる姿勢のように、尊いものを取り扱っていることを忘れず、聞く人の心に神の御言葉が本当に伝わり、沁み込んでいくように読んでほしいものです。
そのためには、前もって良く準備しておくことが不可欠です。当番になっている朗読奉仕者は、教会受付に用意してある次の主日の「聖書と典礼」をもらって、朗読箇所を繰り返し読み深め、下段の叙説≠ノも目を通しておくようお勧めします(皆さんが主日にいつも手にされている「聖書と典礼」の最後のページには、毎日のミサで使われる「今週の聖書朗読」が紹介されています)。
私たちが準備するごミサは、きめ細かく丁寧過ぎるぐらいに、きちんと整える習慣を身につけましょう。それが生き生きとして「共に喜びが体験し合える典礼」「人々の心の琴線に触れるような典礼」を生み出すことに結びついていくのです。