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ミサは信仰生活の頂点
   典礼憲章に基づく刷新 <5>
 
       
       カトリック松山教会・担当司祭
              ルイス・グティエレス神父
第2バチカン公会議から50年…。この記念の年に当たり、私たちは今信仰年≠歩んでいます。
公会議はまず典礼の刷新からスタートしたことを、主日の説教や「みこころ」を通じて何回となく伝えてきました。刷新という新しい風≠吹き込んだねらいは何だったのでしょうか。今一度考えてみましょう。
 公会議によって典礼が自国の文化に溶け込んだのが大きな特徴です。例えばその聖書朗読が本当に深いところにしみ込むように読まれるのと、何を読んでいるのか意味もつかみにくいほど下手にされるのとでは、大きな違いがでてきます。
また、日常の生活の中で信者同士が深く触れ合い、祈り合い、助け合っている場合と、顔も名前も知らなければ、知り合おうともしていない信者同士の場合にでは、同じ平和のあいさつをしても、その内容は全く違ったものになります。
典礼は私たちの日常生活の実践の積み上げの上に成り立ちます。日常生活が豊かであればあるほど、典礼は豊かになります。生活の裏づけのない典礼はむなしいものです。
同時に典礼は、私たちに日常生活のあるべきところを指し示します。典礼の示すことを生きようとすることによって、私たちの生活はより豊かなものになるはずです。
例えば、パウロがコリントの人々に書いているように、一致のないところでの聖体の分かち合い(ミサ)は、うそです。一致が深ければ深いほど、生活は豊かな意味をもってきます。同時に、本当の一致の意味を教えてくれるのも聖体であって、聖体に与るたびに私たちはより深い一致に招かれ、自分たちの足りなさを感じずにはいられません。そしてさらに、その一致を本当に実現してくれるのも聖体です。なぜならそれは本当にキリストの生命に、共に与ることなのですから…。
このように深い意味を重ねもっている典礼は、信仰生活の頂点であり、泉なのです。
7つの秘跡は有機的に関連
公会議は、ミサ以外の秘跡、典礼についても、共同体の礼拝、キリスト中心、歴史的に見て本来の意味を重視するなどといった原則にのっとって、刷新、改革に取り組みました。
そしてその大部分は公会議後現在までの50年間にほとんど実行されてきました。ここでは、それについていくつかの点に触れてみましょう。
まず洗礼(入信)の秘跡ですが、かつて秘跡は7つあることが強調され、そのためにまるで7つの秘跡が別々に並列的に存在しているかのような印象を与えてきました。
しかし7つの秘跡は別々に並存しているのではなく、互いに有機的に関連し
合っていて、またその重要度も異なります。
言うまでもなく、ご聖体(ミサ)の秘跡こそ、教会共同体の中心であり、信仰生活の中心です。
キリストの死と復活によって与えられた救いの恵みをともに祝い、分かち合い、宣言し、その恵みによって神と兄弟とひとつになることを示す聖体の秘跡(ミサ)は、教会そのものの姿です。
ほかの秘跡は、この聖体の秘跡に関連して、これに向けて理解すべきでしょう。
例えば、洗礼はこの聖体の恵みに預かる共同体への勧誘と言えますし、堅信はその聖体の恵みの完成として、回心の秘跡は洗礼の恵みの更新、聖体における赦しと和解を表すしるしとしてみることができます。
また叙階の秘跡は、この聖体を祝う共同体への奉仕者の役割を与える恵みであり、結婚の秘跡は、神の恵みの中で、人間が愛において一致するという救いの恵み(聖体の秘跡の意味するもの)をかたどり、人間生活の中でそれを実現していく恵みのしるしなのです。
このように見るとき、7つの秘跡は『キリストによる救い』という分けることの出来ないひとつの恵みが、多様な人間生活の状況に応じて現され、与えられるものであることが分かります。
こうした意味で、新しい秘跡の典礼は、洗礼、堅信、初聖体を、『入信の式』と呼んで、一貫した一つのプロセス≠ニ考えられているのです。

                                   (以上)