広い心・・・みんな兄弟        
       カトリック松山教会・担当司祭
              ルイス・グティエレス神父
悪霊を追放することは、人間の力で出来ることではありません。イエスの力が必要です。″イエスの名によって≠ニかイエスの名をつかって≠ニか言う表現は、そのことを指しています。
ある人がイエスの名を使って悪霊を追い出していました。それを見た弟子たちは「自分たちについて来ない」(マルコ)という理由で、あるいは「自分たちと一緒に主について来ない」(ルカ)という理由で止めさせようとしました。
『やめさせてはならない』とイエスは言われたのです。なぜなら、イエスの名を使って善を行うということは、イエスの力の影響下にあることを意味し、何らかのかたちでイエスに属するものとなっているからです。例え本人がイエスの信仰と帰依とを明確に自覚していない場合にもです。
ルカによる福音にも並行箇所があります。
『そこでヨハネが言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちと一緒にあなたに従わないので、やめさせようとしました」。イエスは言われた。やめさせてはならない。あなた方に逆らわない者は、あなた方の味方なのである』(ルカ9・49−50)。
さらにもう一つ。これとは合わないような主の言葉もあるのです。
『わたしに味方しない者はわたしに敵対し、わたしと一緒に集めない者は散らしている』(ルカ11・23)。
でも文派が違っています。悪魔を追い出しておられるイエスを見て「悪魔の力で悪魔を追い出しているのだ」などと言う人々と、かたくなな心の持ち主、不信の、いや悪意の人々に向けられた言葉なのです。
それに引き換え福音の言葉は、イエスとその弟子たちに『反対しない人々』に向けられています。そういう人々が味方≠ナあると言っています。
これは明るく、素晴らしく、ありがたいメッセージではないでしょうか。教会に目に見えるかたちで属していない人々をも、イエスの大きな愛と恵みが包み込んで、味方にしているのですから……。
使徒パウロの、あの言葉が思い出されます。
『ねたみと争いという動機であれ,善意の故であれ、キリスト(ただし、歪められた虚偽のキリスト像であってはならない)』が告げ知らされているのですから、わたしは喜びます』(フリッピ1・8)。