羊と羊飼い        
       カトリック松山教会・担当司祭
              ルイス・グティエレス神父

羊を飼っている様子は、日本人にとってあまりなじみ深いものではありません。私はこの夏、休暇でスペインへ帰っていて、その風景をよく見かけました。
イエスの時代、ユダヤで羊は、ごく身近な動物だったようです。日本人は、牧畜というと、なんとなくオーストラリアやニュージーランドなどで行われているような、広々とした牧草に数千匹の羊を放牧している風景を思い起こすのではないでしょうか。
しかし、聖書に書かれている羊の飼い方はもっと違ったもののようです。せいぜい50匹から200匹の羊を一つの群れとして、それに3人の羊飼いがつき、羊たちを水飲み場へ連れて行ったり、草のたくさんあるところを探しながら、羊の群れを導きました。
 
羊飼いは、たいてい羊の持ち主の子どもがすることが多かったようです。羊は彼らにとって大切な財産でしたし、とてもかわいがって育てていました。1匹1匹にそれぞれ名前をつけて呼ぶほどでした。また羊の方も羊飼いに良くなついていて、その言うことをよく聞いたのです。
このような間柄でしたから、聖書の中に羊と羊飼いの関係を「神と民」「指導者と民」といった意味に使ったたとえ話が幾つか出てきます。
旧約聖書では、悪い牧者のたとえ(エレミヤ23・1)、また悪い牧者と良い牧者(エゼキエル34・1)、良い牧者(詩篇23)などがあります。
新約聖書でも、失われた羊を探す牧者の姿(ルカ15・4)、羊と羊飼いの深い結びつき(ヨハネ10)などがあります。
イエスが羊と羊飼いのたとえを用いて話されるとき、羊は、ただ役に立つ動物であるばかりでなく、飼い主は1匹1匹の羊をそれぞれ知っていて、自分の家族か子供のように大切に守り、かわいがるのです。一方羊は、羊飼いを信頼し、安心しきって自分を任せ従って生きる姿です。
これらのたとえは、神が私たちを人間たち≠ニ言った十把ひとからげの見方ではなく、私たち一人一人のことを良く知っておられ、それぞれを心にかけて、かわいがり、慈しみ深く愛しておられるのだということを教えています。
ちょうど、例え子どもが何人いても親にとってはどの子もかわいいのと同じことなのです。
牧者は、特に迷った羊、教会から離れている羊をいつも気に掛け、とこしえに愛しています。この優しい羊飼い(キリスト)は、いつも両腕を広げ、いつの日か帰ってくるのを待ち続けているのです。