ミサの準備(予習)        
       カトリック松山教会・担当司祭
              ルイス・グティエレス神父

復近、教会の中で「勉強会」、「研修会」、「集まり」、「定例会」などなど多いのではないでしょうか?本当に、このような勉強会≠ナ、霊的な生活のために意味があるのでしょうか…。 
洗礼を受けるまでは「神父さまの話」(勉強?)などに通って熱心に勉強?したが、信者になってからは何とかミサに出席しているだけで、久しくキリスト教の勉強?をしていない、そう思っている人が案外多いのではないでしょうか。同じことが幼児洗礼の人ならば、子どもの頃は教会学校で勉強したが、おとなになってからはミサに出席するだけで…ということになるのでしょう。

 
しかし皆さん、ミサは勉強?と無縁な単なる儀式ではなく、実は、信仰を深めていくための研修の場でもあるのです。
その証拠に、ミサにはちゃんと「カリキュラム」があります。
 毎週主日のミサで朗読される聖書は、3年間でひと回りするよう配分されていますが、この朗読配分≠ェ「カリキュラム」なのです。信者一人一人が、そして教会全体が信仰を深めていくための「カリキュラム」なのです。
 このカリキュラムに基づく聖書朗読と説教を毎週聞きながら、長いことキリスト教の勉強?をしていないと思っている人が多いのはなぜでしょうか。おそらくその最大の原因は、準備なしに、すなわち予習なしで、皆がミサに集まるからだと思います。
 ミサの聖書朗読は入念に選ばれており、深い内容をもっていますが、準備なしに、いきなりミサの時に聞いてもなかなか分かりません。
 聖書全体に、かなり通じていることが、全体となって「カリキュラム」ができているからです。聖書にあまり通じていない私たちにとって、あらかじめ朗読箇所の準備(予習)をするのは当然のことになってきます。理想を言えば、予習よりも復習に力を入れるべきかもしれません。
 主日に聞いた神の言葉に従って、それからの1週間を生きるというのは望ましい姿だからです。
 しかし、聖書に関する私たちの現状から言って、当分は準備(予習)に力を入れるべきではないでしょうか。
司式司祭の説教の準備だけに頼るのではなく、教会を挙げてミサの予習運動≠ノ取り組む必要があります。
 そのために「聖書と典礼」を、むしろ予習用のパンフレット≠ニして利用してほしいと願っています。それも「お持ち帰り下さい」。なぜかと言いますと、自分の家でときたま使ったら、益になります。福音宣教のために使うことも出来ます。
 十分に予習しておくと、ミサのときはもう「聖書と典礼を見る必要がない」…そうなったら、どんなにかミサは充実することでしょう。