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casino della coltura

不定期でオススメ音楽をご紹介します
:: 2005 September ::
Alfred Schnittke
Psalms of Repentance《回心の詩篇》(1999)

「わたしに言わせれば、わたしの仕事は音楽を考え出したり生み出したりすることではく、聴くことだ。わたしのそとに存在するものを聴こうとするわたしの耳を、邪魔しないということだ。作曲家が歌う世界は、ともかく彼のそとに存在する。彼にできるのは多少なりともそれとうまく繋がろうとしてみることだ。
……わたしは結果ではなく、ただ道具にすぎない。わたしのそとの何かが、わたしを通じて、聞こえるようになるのだ。」(〜アルフレート・シュニトケ)


シュニトケが、中世ロシア正教を巡る物語をテキストにして作曲したのが、全12曲の合唱組曲《回心の詩篇》です。ロシア正教典礼音楽の旋律と特徴的なリズムに忠実に従い、この作品を構成する詩篇のテクストが、実に、興味深かったです。作者不詳のこの詩句は、典礼の伝統からではなく、準典礼的ジャンルである告解詩篇からとられたものでした。
〜「1968年にモスクワで出版された16世紀後期のロシア文集でたまたまこれらのテクストを見つけた」(ライナーノーツより)
作品の軸になる、第6詩編で語られる、ラウジミール大公の下の二人の息子たち(ボリスとグリフ)の話が下敷きになっています。ふたりは兄に殺され、ロシア最初の聖人として、多くのイコンに描かれるのであります。この兄弟殺しの回想に前後する詩句が、人間の罪、贖罪への渇望を描いており、シュニトケは、その苦悩や懺悔、激しい悲しみ、永遠の苦悩からの解放を求める哀願を、祈りのように、音楽としてとらえたのでありましょう。

〜「すべての瞬間ひとつひとつの表情をとらえようとするもので、言葉が音楽をきめる。」(シュニトケの伝記作家アレクサンドル・イワシュキン)

正教会の典礼で歌われる音楽と同じように、テクストの一語一語に音を付け、あたかもしゃべっているかのように響く場面があります。言葉のリズムをなぞるように、あくまで、言葉主体で音楽が付けられているのです。
しかし、第12詩篇の言葉のない無言唱(ハミング)では、言葉という概念を超え、声の性質すらぼやけてしまうかのように、幻想的で静的な美しさに満ちた世界が一挙に広がります。
上記、冒頭でのシュニトケの言葉にあるように、まさしく、"そとの何か"によって、シュニトケ自身を通し聞こえる歌の世界を、われわれの想像力を喚起する作品として、よりイマジナティヴに聴くことができるのでしょう。

(2005.9.13)
 
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