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NOTE:01
監督:W・フリードキン

この映画の監督候補にS・キューブリックやマイク・ニコルスの名が上がっていたらしいのですが、一つ間違えれば単なる怪奇趣味に至るかキリスト教を冒涜しかねない危険性を孕んだ作品になっていたかも知れません。W・フリードキンのドキュメンタリーを捉えるような視点で冷静沈着に描いてみせた点では「フレンチコネクション」や「真夜中のパーティ」と共通(冷静なタッチでリアルスティックに描く手腕で)している部分あると思います。

NOTE:02
『尼僧ヨアンナ』

悪魔に取り憑かれた主人公(ヨアンナ)のお話しで、<悪魔>に関しての捉え方が、
ポーランドという特殊な風土が舞台となっていることもあり、とても古い土俗的な宗教や伝説に依存しているような神秘的主義的な雰囲気がしました。


NOTE:03
『鏡の中にあるごとく』

こちらは、ベルイマンの作品で、精神分裂による悪魔の幻覚を扱った点で取上げました。『エクソシスト』と違って、北欧映画特有の苦悩に対する魂の美しさが表現されていたのが、とても印象的です。

NOTE:04
老神父役、M・フォンシドーがとても貫禄があって、カッコよかったと思います。
ベルイマンの作品のいくつかに出演しているのを観ていて気になっていました。威厳な感じがして、堂々とした人物象を演じることにかけては、ホント、スゴイ役者さんだと思います。

余談:尋ね人
あの銘子役、リンダ・ブレアの今って、ご存じの方いらっしゃいますか?80年代、女囚モノシリーズ(個人的に好きなジャンルでもあるのですが…)に出演していたのは記憶しております。そんなリンダ・ブレアの最近を知る方、こちらまで、是非、教えて下さい!


 
  #001: Exorcist - The Beginning(2004/10/16公開)
エクソシスト:〜悪魔憑きと分裂〜 悪=欲望(エロス)
  現在、『Exorcist - The Beginning』という、あの"オカルト"の一大ムーブメントを築き上げた映画『エクソシスト』シリーズ最新作が公開されている。私自身、『エクソシスト』には深い思い入れがあって、とても影響された作品ではあるのですが、この最新作、観に行くべきか非常に迷っています・・。

  『エクソシスト』は、いわゆる「悪魔憑き」の映画ですが、同じ悪魔憑きを題材にした映画では、かつての『尼僧ヨアンナ』がありました。ここでも、聖職者である主人公が悪魔憑きの状態になった時、禁欲的精神から離れ、否応なしに異端的な(一種、分裂したかのような)精神に陥ってしまう状態はとても印象的でした。
当時(1973年)にしてみたら、全く新しいタイプのオカルト映画だったでしょうし、「恐怖」という娯楽に徹して作られた作品であって、また、悪に対する見えない「恐怖」を心理的に盛り上げ、いつのまにか(観客は)不安定なショックをひきづって観てしまうというのは、かなり衝撃だったと思います。
(最近では、このような映画は稀ではありませんが・・・。)

でも、単純に娯楽のみの恐怖映画とは言い切れないところは、昔ながらのキリスト教の二元論的な葛藤が見えない原動力となって、物語の中で展開していってる点だと思います。
そこには、ヨーロッパの風土というか、キリスト教の二元論のもとできわめて根深いものがありそうで、とても興味深かったです。

まず、度肝を抜いたのは、悪魔に取り憑かれた少女が「ファック・ミー!」だの「イエスがお前を犯したがってる!」だの、卑猥な言葉をさかんに連発したりするシーンです。しまいには、十字架で血まみれの自慰行為…。はじめてこの映画を観た子供の頃は、観るものすべてが恐かったという印象しか残っていませんが、ある程度大人になってしまってからは、こういうシーンにただただ驚いてしまうのです。なぜ、悪魔に取り憑かれた思春期の少女が、突如として色情狂的な狂態を演ずるのか?
私には、単なるグロテスク趣味にしか映りません。でも、キリスト教の二元論的な立場にたった時には理解できることなのでしょうか?悪とセックス(=欲望)のむすびつきは、とても難しいテーマです。
・・・パゾリーニの作品のいくつかを観ると、こういったむすびつきは単純に悪魔とみなすことはできずに、すごく人間的な(フロイト的な本能理論) + 旧約聖書特有の普遍的な寓話のように思えたりしてしまいます。・・・

エクソシストの主人公、色情狂的な狂態を演ずる少女と同様に、キリスト教と「悪」=欲望の部分が一番興味をひく部分です。(神と同じく)この世につねに遍在する<悪魔>の存在を扱った作品(いわゆるオカルト・恐怖映画といった部類なのでしょうか?)では、<悪魔>による視覚的なトリック+ 超自然的な力によって、人間の肉体はおろか、精神までも支配し惑わし分裂または恐怖・不安といった苦痛を人間にいたらしめていました

その精神的な部分に限っていうのなら、たとえば無意識の領域において、悪魔的な幻覚や悪夢を生み出すような作品(人間の深層心理の暗黒をさぐるような)等も、見方によっては、こういった悪魔憑き(オカルト・恐怖) 映画とある種共通した部分があるように思います。(代表的な作品では、カリガリ博士やジキルとハイド、サイコ、鏡の中にあるごとく、ポゼッション、ブルジョワジーの秘かな愉しみ、…ets 等等。)
それらすべては、人間の精神の<分裂>(悪魔的幻影)を伴い、常に(エロティシズムといった類いの)<欲望>が根底に描かれていたように思います。
・・・それと、分裂と悪魔憑きの関係において、『エクソシスト3』では、人が分裂状態にあると、簡単に精神ををコントロールできるということで、とある病院施設の痴呆症、分裂病者の患者に、悪魔はいとも簡単に取り憑いていたのがとても印象的でした。・・・

人間の精神に内在する「悪」と宗教上の「悪」との境のようなもは、現実がだんだん悪魔的な様相を深めていくにつれ、とても曖昧で不確かな存在に思えてきてしまうことがあります。
まるで、マイク・オールドフィールドのチューブラー・ベルズの、永遠にリフレインするあの終わりのない音楽のように、どこまでも続いていくようにも思えます・・。
これらの不完全な存在が、現代社会の歪み
を映し出しているようで、ふとした時に、ギョっとしてしまうのです・・・。
 
pic今回の最新作、『 Exorcist - The Beginning』では、”すべての謎を解き明かす!”というコピーが謳ってありました。
以前から疑問に感じていたのは、『エクソシスト』での、あの終末のない奇妙なハッピーエンド(?)についです。はじめ12歳の少女の肉体の中に取り憑いていた悪魔が、壮絶な神と悪との戦いの中で、そばにいたカラス神父にのり移り、その神父の死によって、彼を含み少女は悪魔憑きから解放され、その後です。いったい、悪魔はどこにいったのか?という疑問です。悪魔は神と同様に、この世につねに遍在する存在なので、敗北(?)し、それから絶滅したとは決してありえません。この最新作を観たら、そんな謎も分かるのかしら??
そんな疑問を抱えながら、観に行くかどうかは、まだ未定ですが、もし、鑑賞できたら、また、このレビューで取上げてみたいと思います。
2005.01.05(管理人)
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