人と自然の交差点 
 むげんとはどんな会?
代表 安野 禎彦
遥かなる源への旅立ち
が語ります。

 新緑に輝く原生林と青い空。一条の白い雲と瀬音のハーモニー。流れに身を委ねる岩魚の影を写す蒼く深い淵。鳥の囀とそよ風の囁き。木の葉が揺れ流れの狭間に影が踊る。煌めく星空に忍び寄る静寂。夢を乗せては消え行く流れ星。焚き火の炎と炊飯の香り。夜の静寂に流れ行く焚き火の煙り。どれもが溪では欠かせない情景であり、源流マンは溪の情景に魅了され源を巡る旅を続けているのではないだろか。

 『自然丸ごと』溪を遊び尽くす目的で1982年5月、丹沢で行った「釣に応用したい沢登りの世界」と題した催しがむげんを興す切っ掛けでした。以前は山の基礎知識も技術も無く、ただ岩魚に憑かれ我武者らに釣溯行を繰り返ししていた。通過困難な所へ遭遇しても危険を顧みず、技術不足はハートでカバーとばかり闇雲に突き進みもう駄目かと思える事も度々であり、今思い返すと冷や汗が流れる。それでも自然は何も語らず大きな包容力で包み込み、技術の無い者へも平等に楽しみを与えてくれたが、頭の片隅では、事故、怪我、遭難と言う言葉が常に付き纏っていた。

 渓流釣りは、一ケ所で糸を垂れる待の釣りでは無い。常に危険が潜む中を上流へ向かって遡る攻めの釣りだ。溪を遊び尽くす上で避けて通る事の出来ない危険なら、知識、技術を身に付ける事によって安全が高まる筈と催おしたのです。1984年6月、岩魚の流域をフィールドとし溪を遡りながら釣りも楽しむ、即ち溪を複合帯で捕らえられる源流指向の集団として 山岳渓流釣り集団「むげん」が産声を上げました。山岳渓流釣り集団とは成っていますが、溪での生活は従来から有る釣会の様に釣りが主では無く、釣りは溪を遡る活動の中での極一部従の集団として活動しております。

『溪と言う魅力多い遊びの場は何人の入渓も拒まないであろう、たとへそれが70歳を越した只の労働者でも、そして総理大臣でも、或いは20歳の学生でも、はたまたか弱き女性でも、溪を遊び尽くす意欲の有る者は来るがいい、山岳渓流釣り集団「むげん」は魅力多い山岳渓流の扉まで連れて行こう』
 以上が「むげん」の方向です。数多く存在します渓流釣り会の様に、入会すれば釣り場へ案内しましょうと言った集団では無く、今日まで個々で活躍していたが溪遊びに物足りなさを感じていた方々、或いは、これから溪遊びを始めたい方々と共に、自然を恐れ、自然を敬い、自然と拘わり合いながら今日までの溪歩きを語り合い、新しい溪遊びを求め、情報交換精神的交流、技術交流、或いは、友好団体や会報を通じて知り合った方々との交流を通じて、夢であった大渓流に向けお互いのレベルアップをはかっています。勿論溪を歩いておれば事故に遭遇する可能性はありますので、遭難対策に対しては事故以前の防止対策に重点を置き取り組んでおります。また、大渓流に向けての実践の場としては「秩父の溪々遡れなくして他の溪は無し」と題し会の正式行事とし合宿形式で登下降を行っております。即ち、自分で描いた夢は他人より与えてもらうのでは無く、主体的に「むげん」を選んだのですから自らの手で、足で形にしてほしいと言う事です。現在「むげん」では個人の自由を尊重し、メンバー各々の良心に任せ、特別(遭難対策)な場合を除き個人の自由を束縛する規則を設けてはおりません。何故なら集まりヘ所属し集まりを支える自覚が有れば必要無いからと考えるからです。「むげん」では、メンバー全員上も下も無く平等です。山岳渓流釣りを、気張らず、入れ込まず、安全に、長く、楽しく、モットーに自由が尊重される中で、非合理性の溪遊びを通じ溪を共有出来ればと願って運営されております。

 1984年6月、この世にに誕生し7年間培いました歴史を基軸、1992年6月より catchphraseを『人と自然の交差点』 themeは『常にネクスト』として、新しい時代に合った溪遊びを求め、新生・山岳渓流釣り集団「むげん」として旅立ちました。

 catchphraseが 人と自然の交差点 とは成っておりますが、別に自然保護運動に表立って拘わろうと言う訳では有りません(自然保護運動に対し署名集め位はしますが)。人が自然界へ入り込めばそれは立派な自然破壊です。だが、人間はその誕生以来今日まで自然界と拘わり合いながら生活を営んでおります。最早何人にも自然破壊を止める事は出来ないでしょう。だが拘わるもの一人一人の努力で遅らせる事は可能です。会報を通じ、月報を通じ、商業誌を通じ、或いは溪で知り合った大勢の渓流マンとの間に「むげん」を置き、我々が活動の場とします山や溪との新しい関係を未来に向け築いていけたらと考えております。

 次にthemeの 常にネクスト ですが、集団だからこそなしえる事を第一に、集まりを支える自覚を持って、常に次は何をすれば良いのか、何をしなければいけないのかを自らが考え行動出来る集団でありたいと言う事です。

さて最後に成りましたが「むげん」の由来に付いて少し振れておきます。人それぞれ顔や考え方が異なる様に、岩魚が棲息する溪に対しても思い入れはそれぞれでしょう。ある人は限り無く無限に岩魚を追い続けたいと言うでしょうし、ある人は、夢幻の魚と呼ばれる岩魚と戯れる事が出来たらと願うでしょう。またある人は、自分の夢の元は溪で有り岩魚と答えるでしょう。またある人は、岩魚の棲む夢の源へ辿り着きたいと願うでしょう。またある人は、夢を現実にしたいと願うでしょう。

一人一人、溪ヘの思い入れは異なりますが、溪を活動の場とし溪を遊び尽くす気持ちは一つです。どのむげんを当て嵌めても溪を遊び尽くす気持ちに変わりは無く、ひらがなで「むげん」としましたので深い訳はありません。岩魚を育む溪が、明日もこの世に存在する事を願い、また「むげん」この世に存在し続ける事を願いつつ、いまだ夢の途中です。