トムズハートジャンク

         VIRTUAL JUNCTION

    for HEART VESSELS PROBLEMS

体験記:

心臓への細菌感染

そして弁膜症発症へ

 

おおよそ3ヶ月の間、医者から普通の風邪と云われ続けた倦怠感・寝汗・微熱が、

入院検査で亜急性心内膜炎と判明するも、この心内膜炎が原因で

大動脈閉鎖不全症、洞機能不全症候群、アダムスストークス症候群を続発し、

入院・内科治療の後に人工弁置換手術、ペースメーカ埋め込みの外科手術を受ける。

この1984年5月から1985年7月までの闘病・入院生活の内、

発症から内科治療終了の1984年11月までの記録・知見を報告します。

原因の心内膜炎は、各種の抗生剤が開発されていた当時にあっては

教科書にあるだけの昔の病気と云われておりました。感染源は私の場合、歯科治療と

推定されております。現在も一般的な疾病とは云えませんが、

処置が遅れると大事になるという一事例として示します。

TTトムズ)

 

 <自己紹介>

TTトムズ:男性 (昭和21年7月生まれ)(e-mail: tandtint@jt8.so-net.ne.jp

  病 名:亜急性心内膜炎→大動脈閉鎖不全症、洞機能不全症候群、

     アダムスストークス症候群

  発 症:1984年(37歳11ヶ月)

オ ペ :東京女子医大心臓血圧研究所付属病院 

手術日年齢:38歳7ヶ月

 

《発症》

1984年5月26日、激しい下痢と発熱とで寝込んでしまった。29日、課長から大事な話があるから何とか出社をとの電話があり、翌日、妻の運転する車で川崎の勤め先に送迎してもらう。上司の話は6月1日付けで同じ川崎にある工場への人事異動の内示と、配属の新入社員の為に翌31日には机・棚を整理して明け渡してほしいとのこと。

6月1日(金)、辞令を携えて新職場に出社し、課長、部長に転勤挨拶。下痢は回復していたが、だるさはそのまま継続し、一向に良くならない。同僚からは、だるさは異動のストレスではないのか、怠け病ではないのかと、日頃の行いを見透かしているような診たてだ。自分でも半信半疑でいる。就寝中は寝汗がほぼ毎晩つづく。

6月18日(月)

前日からの微熱やだるさがとれず、内科医院に再度通院。風邪の診断。抗生剤を服用。夜に40℃まで発熱すりが、翌日には解熱。20日(水)から出勤。

6月23日(土)

相変わらずの熱っぽさだが、全身を襲う激しい倦怠感(横になっているのも、壁に寄りかかっているのもつらい)。田舎から出てきている両親を前に起きあがれない。翌24日(日)には、激しいだるさは無くなったが、喉が異常に腫れる。口の中が腫れた喉でいっぱいになったような感じ。25日(月)、休み明けを待って耳鼻科医院を受診。扁桃腺炎の診断。治まるまでの安静を指示される。耳鼻科医院での菌培養結果、27日(水)、肺炎球菌検出(後には溶血性連鎖球菌も検出)。翌日からの出勤はOK。

 

同年7月

全身のけだるさは相変わらず継続。全身の寝汗も続いており、夏の夜の暑さで発汗するのか、それとも体調が悪くて発汗するのか分からない。

食欲はある。寝起きから36.0〜36.7℃の36℃台で平熱より1℃ほど高い。毎日午後から倦怠感が増すが、会社に持参した体温計で測ると37.2℃しかない。昔からこの程度の熱には強いはずが、弱くなったのかだるさを感じる。

前勤務地区で一緒に研究に従事してきた若い人たちと飲食した翌日も発熱する。医院から投薬の炎症止めと抗生剤を服用して解熱。(不思議なことにこの時期、飲酒の翌日には必ず38℃程度の発熱があった。)

 

8月

1日:会社の夏期休暇に入った。しかし、相変わらずだるさが続くなか、また下痢と38℃を超す発熱。きちんと診てもらうために市立病院の内科を受診。血液検査、X線検査を受け、大腸カタルと風邪を併発の診断。整腸剤、抗生剤、風邪薬を処方され解熱し正常に戻る。

その約一週間後に再度の発熱で市の病院で再診。診断は単なる風邪。今まで抗生物質が効いて来たので抗生剤を処方してほしいと三ツ木医師に要望したところ、「自分の専門は感染症であるが、抗生剤は細菌感染に効く薬であり、専門家の自分が細菌感染でなく風邪だと診ているのだから抗生剤を出すことはできない」と断られてしまう。なおも医師に食い下がると毎日の体温の経熱変化を10日程検温してから考えようと熱履歴表を渡される。検温をするために一切の投薬はない。その後、37℃半ばから38℃の発熱が毎日続く。ある日、体がつらくて会社のNEC玉川診療所へ行き、当番の女医に状態を話すと、「診てもらっている医者がいるのに私に何をしてほしいのか、風邪などでいちいち来ないでほしい」としかられ、診察されずに門前払いされる。どうも医師に相手にされない。この後に入院した大学付属病院で三ツ木医師が病室に来て回診するところを見かけることになる。

熱履歴を記録始めて6日目に、私の様態を心配した妻が田舎で病院を開いている義兄に相談の電話を入れる。義兄によると、「風邪で1週間以上も熱が続くことはあり得ないから、その病院は止めて、話をきちんと聞いてくれるもっと大きな病院にすぐ診てもらった方が良い」とのこと。

そこで、翌14日に県北の大学付属病院を熱履歴表持参で受診。X線、採血、採尿、聴診し、医者からは、「発熱の原因は分からないが熱形から概ね推定できる。薬は何も出さないから2週間程の熱履歴(朝昼晩の3回/日)をとってほしい、次回の外来までに38℃以上発熱があったらすぐ来院すること」と指示を受ける。

22日、前日の38.5℃の発熱をみて再度、大学病院外来受診。ベッドが空き次第に1週間の検査入院が決まった。帰りがけに病院前の不二家で食事をとる。妻と一緒のポラロイド写真を店からプレゼントされる。

 

《大学付属病院:検査》

1984年8月24日

入院初日

11時半に、1週間の検査入院。病棟は建てられて10年目の非常にきれいな建物。入院病棟は神経内科。脳溢血や尾てい骨打撲で下半身麻痺になった患者や膠原病の患者が大半である。病室は3人部屋。ナースが順に2人きて、入院の動機、入院で何を望むか、誰が入院を言い出したのか、家族構成、連絡先、性格、趣味の質問。次に、主治医の研修医西岡先生による問診で、発熱に至る状況、発熱後の経過、既往症、家族の病歴、仕事の内容を答える。西岡先生は若いが、大変熱心だ。素人の質問にも丁寧に答えてくれる。主治医は他にF先生、O先生。腹部の押し、背中のたたき、関節の曲げと採血がある。その後、頭部3方と胸部のX線撮影。さらに、F先生が腹部の押し、背中のたたき、関節曲げの3点セットの他に喉を診察、M先生が、腹部の押しと目を診察。体温は37.4℃から38℃に上昇で氷枕を使用。

 

入院2〜11日目

翌日からの10日間は、早朝6時の検温37℃代の前半、午後2時検温では37℃代の後半に上昇、夜8時の検温時に38℃前後から39℃前後の中等熱に上昇する熱パターンが毎日繰り返された。1,2ヶ月前より平均1℃は高くなっている。熱との戦いは体力が勝負。食事は3食とも残さないように頑張る。検査は、検尿、検便、耳鼻科外来、ツベルクリン反応、眼科外来、RI、CT、心電図、採血、採髄液、胃のX線透視、体重測定。発熱の原因不明。不明故に病名は不明熱。入院期間は全2週間に延長。

熱との戦いは、まず、熱と友達になること。体温が上昇中は、熱感が全身だけでなく目にもくる。体がだるく、そのうち寒気が全身を襲ってくるが、歯をがちがち言わせ体を小さく丸めていると徐々に治まる。だるさや寒気が治まったときは体温の上昇が止まったときで、たとえ39℃を超える体温でも食欲はあり、廊下も元気良く歩行できる。どうも体と言うものは変化に弱いが、安定した環境には適応力が強いらしい。この間、2時間も頑張ると、中等熱とも共存可能だ。

 

入院12〜21日目

この10日間の体温は、早朝から37℃後半と一段と高く、夜の検温では38℃台から39℃台に上昇、の中等熱が繰り返された。夜を徹しての39℃の発熱をみた翌日はさすがに疲れる。自分にできることは、熱に負けない気力と食べて体力を保つことしかない。原因が分かって治療が始まるまでは負けられない。

検査は、皮膚科外来、腎機能X線、胆汁採取、手足X線、心臓エコー、採血、泌尿器科外来、腎臓X線、核医学など、細菌感染、ウイルス感染、体内抗体、悪性を想定した検査が続く。39℃近くの発熱があると動脈血を採取。しかし原因は相変わらず不明。原因が分からない限り治療は行われない。

毎日の診察の3点セットの他に首筋のリンパ節チェックがある。それに実習学生による診察以来、聴診が加わる。入院病棟が神経内科の為か、これまで聴診は無かった。聴診は、9月4日(火)の学生によるのが入院以来始めてだ。その日の午後の診察では、男女2人の学生が胸に聴診器を何度もあてては小声で話し合っていたのが印象的。その日の夕方にO先生も聴診に来られ、心臓は悪くなかったかねと聴かれる。学生時代に大学の診療所での集団検診で、医師から心臓の雑音が少しするが心電図で問題ないと云われたことを話す。

 

《大学付属病院:内科治療》

1984年9月14日(金)

治療初日

1週間前の培養血から菌を検出したようだ。抗生物質の反応検査を実施。西岡先生によると、「心臓に菌が付いている可能性があるので、24時間の点滴を行う」と告げられる。心臓であれ何であれ、いよいよ治療に入ることができ、発熱から解放される喜びでいっぱいだ。17時から点滴開始。来院から丁度一月目のことである。

 

治療2〜3日目

15日(祝日)熱は確実に下がってきている。午後になっても体温は38℃を超えない。しかし、昼食が半分しか食べられない。入院以来始めて食欲がなくなった。15時と16時40分に気分が悪くなる。少し吐きそうになり、胸から頭へ熱くなり頭がボーッとするがすぐに治まる。17時頃、顔に脂汗がでてくるとともに、吐き気を感じる。看護に来ていた妻の記録によると、この際、10秒間ほど意識が無くなったとのこと。17時半頃、トイレで小用をしている時、目の前が突然暗くなり倒れそうになる。妻の呼ぶ声で気が付いたら、点滴棒とともにトイレ床の上で大の字になって倒れていた。これが心臓の洞機能が損なわれ始めた兆候であったことを半年後に知った。

点滴を開始してから24時間が過ぎても点滴針は抜かれない。ナースにいつ点滴が終わるのかと尋ねると「菌がなくなるまで点滴は続く」とのこと。映画”十戒”のモーセのように四六時中点滴棒を暫く携えなければならないのかと考え、がっかりする。

気持悪さはその夜も繰り返し、都合10数回は起こる。翌日16日(日)の朝食も食欲はあるものの、食事中に3回ほど気持ち悪くなる。血圧は正常値とのこと。10時頃から気分が良くなってくる。夜、主治医の診察、心電図検査。この2日間の体温変化は6時,10時,14時,20時でそれぞれ2日目37.6,37.6,37.6,37.1℃、3日目36.4,36.5,36.7,37.1℃。

 

治療4〜13日目

この間の体温は早朝で36℃の半ば、夜で37℃代。入院前の6月,7月の体温に戻ったことになる。治療開始前に比べて早朝で1℃、夜で0.5〜1.5℃下がった。これまで苦しんだ熱感は全く感じない。気持ち悪くなることもない。動き回らないようにとの注意がでる。院内移動は全て車椅子を使って行う。

検査は、心臓エコー、心音図、心電図、血液排出量、X線、脳波、頭部CT、腹部エコー、肺機能、聴力が行われる。心臓の検査、失神の検査、そして心臓手術の為の検査が目的と思われる。

治療開始5日目の9月18日(火)、O先生とN先生から心臓エコー検査の説明があった。「心臓の弁に炎症痕の塊が1ヶ確認された。薬の投与に関わらず心臓からの雑音は明瞭になってきている。抗生剤の点滴は後4週間続ける。外科医と相談の上で手術の有無を決めるが、手術するにしても点滴が終わってからになる。」 翌日、点滴の抗生剤はペニシリンであると教えられる。

気分の悪さや失神の原因に付いては、教授を始め幾人からいくつかの説明があった。「点滴開始して時間が経ってのことだから薬の副作用ではない。年寄りに多いのだが、急激に熱が下がった為かもしれない。排尿の際の膀胱収縮にともなう血圧低下と思われる。心臓の弁の巣からかけらが抜けて失神を生じることが考えられるが、末梢に障害がでていないから違うと」等。医師に一般的な臨床の質問すると、分かり易くしかも積極的に解説してくれる。

この10日間は恙なく過ぎた。時折、手の爪のあたりが痛くなる。CT検査でおヨウ素の作用で顔面に赤い斑点を生じる。

 

治療14〜59日目

14日目の9月27日(木)は前夜に続いてストマイを注射。以後、37℃を超える発熱はほとんどなくなった。体温は早朝で36℃、午後で36.7〜37℃。体調は良く、体重も入院時より3s増えた。脚にもむくみがきておらず、心不全の兆候はない。しかし、声がバオワーンと聞こえ、人の声が聞き難い。

治療開始20日目頃から足の裏に水膨れが出来、増え始めた。何だろうということになったが、皮膚科の専門医が診て水虫と診断される。今まで水虫を抑えていた菌がペニシリンで弱くなった為に水虫が日の目を見ることができたらしい。小さい頃に父の足の裏を踏むサービスをしていたが、そのときに父から貰ったものに違いない。看護婦さんが逃げ腰になりながら水虫をはさみで切り水を出し、リンデロン軟膏を塗ってお終いになる。

感染した菌は溶血性連鎖球菌(溶連菌)であると、O先生から教えて貰う。歯科治療の出血時に細菌感染、あるいは喉頭に付いた菌がリューマチ熱を発し、さらに心弁に飛んだと推定している様だ。

40日目頃から、ペニシリンの点滴による痛みと手の腫れが起こる。点滴針を刺している手や腕が痛い。手は自分の手とは思えないほどにぱんぱんに腫れた。針の差し替えも徐々に難しくなってきた。手や腕の表面にでていた血管が中に隠れてしまう、針を血管に当てると血管が逃げてしまう。激しい点滴痛はペニシリンの点滴を嫌がっている血管の悲鳴だ、針を嫌がっている血管のレジスタンスだと思う。時折、鎖骨のあたりから太い血管に長い針を刺して点滴をすることもおこなう。

一度、点摘針を刺している手首がずきずきと痛む。点滴の痛みどころではない。痛くて自然に涙が出てくる。ナースに訴えるが、我慢しなさいとしかられる。そのまま2日間我慢する。針を交換したらその部分に黄色い膿が溜まっており、膿をふき取ると肉が剔られて深い穴ができている。痛かったはずだ。ナースにも色々なタイプがある。(このときの傷跡は今もくっきり残っている)

10月1日から主治医が西岡先生からK先生にローテーションで交代。炎症反応CRPが±0になった40日目頃から歩行テストや階段昇降テストが始まった。テスト開始前後の血圧、心拍数を比較するのだ。病棟の階段2〜4階分を主治医とともに昇るのだが、運動後に最高血圧は20から30oHg上がるが、最低血圧や脈拍は変わらない。最低血圧が低いのだそうだ。尚、入院中の最低血圧は10のときもあった。

約2ヶ月の点滴治療を全て終えた。入院からちょうど80日目、治療開始から59日目の11月11日(日)。治療中、ペニシリンGの量は増減したが最後は2000万単位/日であった。久しぶりにシャワーを浴びる。

 

《退院準備》

入院81〜84日目

10月末に大動脈弁の手術を行う予定であったが、手術のタイミングに関し医師間でも種々の意見があり、結局、内科治療を終えた段階で退院し、外来で様子を見ることになった。

心電図、肝機能テスト、心エコーを行う。聴診器で自分の心臓の音を聴かせてもらう。ドッキン、シャーのシャーが壊れた大動脈弁から送り出された血液の一部が心臓に逆流するときの音だ。頑張っている心臓の様子が想像できる。

退院後の注意が与えられる。内科O先生からは、「風邪症状のときは風邪薬とペニシリンを服用。37.5℃を超えた発熱時は外来受診を」。胸部外科A先生からは、「心臓の肥大を防ぐ薬、ジキラニンを少量服用する。勤務中の仕事はマイルドに。急な息切れは自家用車あるいは救急車で来院。尿量減少、体重増、むくみは2日間を目処に来院。」そして、11月15日(木)に入院以来84日目に退院する。

退院の際に着たセータに付いていたナフタリンが引き金でくしゃみと激しい喘息が始まる。

 

《退院後》

退院後は週一回の割合で、胸部外科の外来を受診。1984年12月4日、同時期に入院治療をしていた田舎に住む父の危篤の報が入る。自分が心臓のケアをするから帰ってこいと言う病院開業の義兄の勧めに勇気づけられ、家族5人が飛行機で千歳に飛び、姪が運転する車で夜道を父の入院する義兄の病院へ向かう。夜11時到着。半酸素マスクをつけた父は虫の息。父の手を握り呼びかけるとかすかに手を握り返し、まもなく息を引き取る。

通夜の夜、葬儀にでない方がいいという兄の強い薦めに従って、遺族控室の山のように積まれた蒲団に寄りかかっていると、突然、不整脈が起こる。脈が一分簡に15回ほど結滞する。気分は悪くないが不気味に感じる。その状態は20分ほど続いて止んだ。後日、義兄に心電図を取って貰うが何もでていない。

これが不整脈の症状が出始めた最初で、この後に人工弁置換手術とともにペースメーカ埋め込み手術も受けることになる前兆とは、そのときは全く想像もしていなかった。

 

 ◇以上の推移を表「不明熱・亜急性心内膜炎の治療経過(内科治療)」にまとめました。ご参照下さい。

 

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『本体験記の続編は、4.不整脈・ペースメーカの

「(1)心内膜炎・弁膜症から不整脈発症まで」の体験記を

ご覧ください。』

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《医師との対話から(ご参考)》

(長期発熱)

使っても副作用はない。

·         尿が腎臓に逆流すると長期間の発熱がおこる。

 

(心内膜炎)

 

(手術)

 

(弁膜症)

 

(人工弁)

 

(心不全)

 

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