トムズハートジャンク

VIRTUAL JUNCTION

for HEART VESSELS PROBLEM

82歳心筋梗塞手術看病記

 

82歳という高齢で心筋梗塞の手術を金沢循環器病院で受け、

元気になられた坂井さんの闘病の様子を、ご家族が献身的に

明るく記録しされた看病日記を紹介します。手術を受ける予定の

方や看病されるご家族の方々の参考になります。(TTトムズ)

 

坂井治作の闘病日記 ”じいちゃん もな”

「わたしのおじいちゃん、坂井治作氏(1914年1月15日生)が

心筋梗塞で入院し、手術をしました。このページは入院中の様子を

私(もな)と母とで書き留めたものです。」

 

      目次 1.検査で即入院

         2.手術とCCU

         3.普通病室へ

         4.再入院・手術

         5.退院準備

         6.退院後

 

1.検査で即入院(もな記)

1997年

2月7日

昼過ぎ、じいちゃんが病院で診察を受け心電図を調べた結果、即入院が決まった。

私は何も知らずに新宿でバイト中。夕方うちに帰る途中、携帯でまやちゃんから

すぐ帰ってこいと電話がある。

 

2月8日

この日の昼ごろ、まやちゃんはじいちゃんと話をしていたらしい。まやちゃんは手術を止めようと言ったけど、じいちゃんは手術を受けるつもりだった。私は夜、20時30分に小松空港に到着、やすしま典子さんと宮野さんが迎えに来てくれる。夜11時頃電話が病院からかかってくる。容態が悪いらしい。ままさんとまやちゃんと私と3人で病院に向かう。井村さんも病院にくる。(じいちゃんは)来たときは歩いて自分でCCUに入ったらしい。下駄箱に靴がおいてある。白衣を来て手を消毒して中に入る。広い集中治療室の片隅にじいちゃんのいるベッド、そのまわりを何人かのお医者さんと看護婦さんと点滴の管が囲んでいる。反対側の小さな部屋で先生の説明を聞いた。夕方頃、起きあがって自分で体についている点滴類を取り外してしまったのが先なのかその後なのかは分からないけど、そのころ発作が起こって心臓の血管の2本が完全につまってしまったらしい。みんなで押さえつけて薬を打って鎮静させて眠った状態だと言う。

 

面会する。酸素吸入器をつけて眠っている姿は全くおばあちゃんの時の顔と似ていた。首から、腕から、何本も管がついている。まわり中で、点滴の機械の音と心電図の音がそれぞれの周期で鳴っている。右腕のところが少しだけ肌の見えるところだったので三本の指でそっと触ってみる。肌の暖かさ、確かにここにいるのが、この前まで元気に喋っていたじいちゃんなんだ、と確認するしかない状態。CCUを何度か出入りして、明け方4時頃、容態が安定したから家に帰ることになる。

 

2月9日

私は昼過ぎまで眠る。夕方18時、じいちゃんの足が冷たくならないようにこれを貼って来るんだ、とまやちゃんが途中で靴下とカイロを買い、面会に行く。薬で眠っている状態のじいちゃんに会う。あまりにもかわいそうな姿。首の点滴から薬品が広がったのか顔から首にかけて肌に黄色いものが付着している。右腕にも大きなあざがある。痛そう。以前、家でよく、ばあちゃんの話題になった時に、じいちゃんがひどそうに深く息をついて「わしはあんなひどい治療はいやや」と、あんなに言っていたのに、この先手術をして、人口呼吸器をつけられたら、もうあの時と全く一緒じゃないのか。手術は心臓のバイパス手術。足の使えそうな静脈を切り取って心臓の動脈に取り付ける。肋骨を全部開いて心臓を止めるらしい。

 

私は普段、いろいろな機械に取り囲まれることは楽しいと思うけれど、80才になった老いた体を基板のパーツを取り替えるみたいに扱うことはやっぱりよく理解できない。心臓のまわりの血管が詰まってしまった状態は、もはや死に値する状態で、それ以上の治療は延命治療以外のなにものでもないのではないのだろうか。どうしてそこまで来てしまった体を、また動かそうと考えていくのだろう。いつも「足がいたい」と言っていたじいちゃんが、歩けるようになるよ、というお医者さんの言葉で自ら手術をしたい、と言いだした、とは言うけれど、手術をしてその後、足もどこもいたくなく、なんの不都合もなく、生きていけるように本当になるのだろうか。ただつらい状態がつづいていくだけなのなら、むしろ早く楽にしてあげたい。体中の全部の点滴をとってあげたい。いますぐつれて帰って、部屋で眠らせてあげたい。

 

 

2.手術とCCU(もな記)

2月10日

12:00 手術前の面会。右手の手首はベッドにしばってある。酸素吸入器や手に付けてある点滴を取り外そうとするので左手もしばられる。ときどき足を動かして体の向きを変えようとしていた。床ずれがおきていたりして痛いのかも。


13:00 手術開始


18:00 CCUから家族待機室に内線が入る。急いでCCUに向かう。担当医の浅井先生から説明がある。手術自体は成功したけど麻酔が覚めるまではなんとも言えない。もしかしたら脳に障害が起こる可能性もある、とは言いながらも先生はとても穏やかになるべく安心させるような言葉を私たちにかけるので、みんなとても安心する。何人かの人が入れ替わり立ち替わり病院に顔を出してくれる。今日はじいちゃんの麻酔が覚めるのを待つので病院で泊まる。

2月11日

8:00 待機室の内線で呼び出される。まやちゃんは不安でほとんど眠っていない。急ぎ足でCCUに向かう。人工呼吸器を取り外したばかりのじいちゃんが、体を起こして眼鏡をかけていた。「もう安心」と浅井先生が腕組みしながらじいちゃんを見て言って下さった。まさに一筋の希望の光。夕方18:00、もう一度行った時にはおもゆを食べようとしているところだった。私の顔を見るなり「食べや」とそのおもゆを差し出すので思わず苦笑。驚くほど元気になっていて、みんなほっとする。これからも順調に回復してくれると嬉しいのだけれど。一日前まであんなに苦しそうな顔をして眠らされていた人とは思えないほど、顔色もよく、にっこり笑ってくれる。病院からの帰り道、久々に外食。食べて、明日も会いに行こう。

 

2月12日

昼は眠っていたので病院に行き損ねた。私のことを今日はどうした?言ってくれていたらしい。夕方会いにいく。個室に入ったと看護婦さんが案内してくれた。CCUの奧にある個室で、今までいたところにはもう他の患者さんがいて、あわただしそうに人が行き来していた。一気に患者さんが増えたらしい。手術室に運ばれていく音もした。じいちゃんは寝ていたところで、意識はすこしぼんやりしていた。あまりしゃべりかけないように、と早めに退出した。じいちゃんのところに行く前に、おばあちゃんのお墓に花をあげてきた。命日の7日に、あげられなかったので。佐伯先生からじいちゃんにお花が届く。faxでお礼を送る。CCUにはお花を持っていけないので、家に飾ることにした。

 

2月13日

お昼と、夕方、30分ずつぐらい、面会する。もうお肉やお魚を自分で食べている。点滴は一本しかつけていない。首からお腹にかけて長方形の大きなガーゼがあててあり、そこをときどきさわりながら「せきこむと痛い」と言う。縫ったあとにひびくらしい。「がんばってね」と言うと「うん」とうなずいてくれた。数日前の大手術(?)が嘘のよう。あの時は、手術なんてしてほしくない、とばかり思っていた。今は早くなおって、少しでも元気になってほしいと思っている。来週には普通病棟に入ることができるかもしれない。今じいちゃんが見ているのはテレビと窓の外の景色だけ。はやくいろいろなことができるようになりますように。浅井先生が日記をホームペジにのせることに賛成してくれた。

 

2月14日

お昼と夕方の面会。今日はデジカメを持っていってじいちゃんと一緒に写真を撮った。しばらくすると、浅井先生が来たので、先生も撮らせていただいた。浅井先生もMacユーザらしい(やった!)。話が盛り上がって先生のお部屋のMacを見せていただくことになった。じいちゃんそっちのけでまやちゃんと香ちゃんと私と病院3階にある先生のデスクに行く。先生が作っている最中のホームページ等を見せていただいた。私のホムペとリンクしてもいいと許可をもらった(なんだか闘病日記でなくなってきたぞ)。じいちゃんの体にはもう点滴が一本もついてない。酸素吸入器も鼻につけている小さいものだけ。自分でヒゲをそって、髪をすいて、見た目を気にして鏡を手にチェックしている。それでこそ私のじいちゃん。でもだんだんと、手術した胸のあとが痛んできたらしい。はやく痛みがとれますように。

 

先生のデスクを見せてもらっていたときに摩弥ちゃんが気がついた。「今日はバレンタインデーだった!」。先生の机にはもういくつかのチョコが置いてある。夕方の面会の時に、先生とじいちゃんにチョコレートを持っていった。もちろんおじいちゃんはまだ、食べられないので病室に飾った。先生はたべてくれたのかな。

 

2月15日

今日はよく晴れた日。じいちゃんが手術した頃からあんまりごはんを食べようとしなかったうちの猫も、昨日ぐらいからまた元気に一匹であそび始めた。「じいちゃんが元気になってきたのが分かってるんじゃない」とまやちゃんが言う。ミコには家族の気分が移ってしまうらしい。ベランダで遊んでいる姿をデジカメに撮ってじいちゃんに見せてあげた。デジカメの小さい画像ではなんか黒いもの、ぐらいにしか見えないんだけれど。「これ、ミコやな」とじいちゃんは見てくれた。まだ上手く歩けないのでおしっこが間に合わず、上手にもできないので看護婦さんに迷惑をかけている、とじいちゃんは笑いながら残念そうに言う。もう少しすればちゃんとできるようになるよ、とまやちゃんと私とで励ました。今日来たとき、ベッドにいないと思ったら、自分で洗面所まで歩いてうがいをしていた。こんなに元気になってきているのだから、そんなに焦ることはないよね。

2月16日

今日は日曜日のせいか、他にも面会に来ている家族が多い。CCUは面会者用にも白衣を用意してあるのだけれど、もう使われていて、ロッカーに残っていない。しばらく待ってから病室にはいることができた。新聞を読んでもいいと許可がでたので持ってきた。じいちゃんは大分たいくつしていて、帰ろうとすると「まだいいやろ」と言って私たちを引き止める。退屈するほど元気になってきたということだ。夕方の面会も随分ゆっくりしてしまった。じいちゃんの声が大きくなってきているのが分かる。よくしゃべるようにもなった。心臓の手術は成功したけれど、あと両足の血管の手術がのこっている。それが上手くいって回復したら、退院できる。きっともうすぐだと思う。

 

2月17日

じいちゃんはかなり元気になってきた。面会に来た人たちを、あそびに来てくれた人のように扱って「お茶でもだしてやれ」だの、「あいつも連れてこい」だの、ここはそういうことができる部屋ではないのに、ちょっと場違いな患者さんになっているようで・・・。今は元気過ぎてかえって無理をしてけがでもしないかという不安がある。私も今月の終わりに、一時東京に戻ることにした。

2月18日

お昼の面会のとき、看護婦さんとじいちゃんと私とで、一緒にCCUの外を出て、散歩をすることになった。どうせなら家族の方がいると楽しいでしょ、と看護婦さん。今までベッドから1メートルの洗面所の距離までしか歩いているところをみたことのないじいちゃんだったけど、本人はさっそく立ち上がり、歩き出した。ゆっくりだけれど、しっかりとじいちゃんは歩いた。CCUの自動ドアを、もう、じいちゃんが自分で歩いて出ることはないのでは、と思っていた一週間前が嘘のよう! 明日は普通の病室に移れる、ということ。本当にうれしい。と、喜んでいたら・・・。私が車で渋滞の道を夕方の面会に向かっている間、じいちゃんは自分で部屋を出ようとして転んでしまった。部屋の前には除菌用の粘着マットがあって、そこで足が離れなくなってしまい、ひざでお腹を打ってしまった。それが自分でもショックだっったのか夕方はちょっと元気がなかった。幸いけがもなく、無事だったのだけれど。

 

3.普通病室へ(もな記)

2月19日

とうとう8階の普通室に移ることができた。今までよりも長い時間、面会できるので今日はお昼から面会時間が終わる19時までずっとじいちゃんと一緒にいた。ロビーの長椅子で他にも面会に来てくれた人たちと一緒にお話をした。久しぶりに長いこと人といたので、じいちゃんつかれたかな?

2月20日

食べ物を持ち込んでも大丈夫と看護婦さんから許可をもらったので、のどあめやビスケットなどをじいちゃんと食べた。昨日から普通のご飯がでるようになったし、見た目は本当に入院する前と変わらなくなった。今日の朝、看護婦さんや先生が来てもじいちゃんが部屋にいないと思ったら、1人でお風呂に入っていたらしい。お風呂に入る時は一声誰かにかけてからにしなさい、とまやちゃんと私とで注意した(笑)。

2月21日

夜19時で面会の時間が終わるので、それから次の日の昼過ぎまで、1人っきりになることが、大分退屈になってきたらしい。夜眠ることができないらしく、じいちゃんは看護婦さんに睡眠薬を頼んでいる。普段そういう類の薬を極力飲まない人なのに、よほど眠れないんだろうな。病院のあまりにも規則正しい生活にリズムが乱されている? でも元気になってきていることは確かなので、これは良い休養なのです。きっと。デジカメで撮ったじいちゃんの愛人?ミコさんの写真を部屋のテレビにつないで見せてあげた。残念なことに普段より写真写りが悪いので、化け猫みたいな顔ばかりなんだけど。じいちゃんは、おーおーみこかい、と言って見てくれた。

2月22日

最近まやちゃんもじいちゃんも少し疲れ気味。じいちゃんは環境が一気に変わって昼間中お客さんと話していて、その間は楽しいんだけど夕方頃に無理がくるらしい。まやちゃんは連日の病院通いと仕事の連立がつらいのだろう、2人とも病室のソファーでうとうと眠ったりしている。まやちゃんがMac上に(Catzという猫育てソフトで)ミコみたいな猫を飼っているのをじいちゃんに見せてあげていた。普段Macで遊んでいると嫌がるじいちゃんも、Catzは結構気に入っている。やはり愛猫の力は強い。

2月23日

Mさんがお昼のお弁当の差し入れを持ってきてくれた。病院食に退屈してきたじいちゃんは喜んでたくさん食べた。カステラをたべたり、味好みたべたり、水分には摂取制限があるけれど、食べ物はなんでも食べられるようになった。体を動かしたり、洋服をぬいだり、咳をするときも、手術の為に首からお腹にかけて切ったところが突っ張っていたむらしい。看護婦さんが胸の傷にそってガーゼをあててくれていた。どうも熱っぽいと体温を計ってみたところ、37.1度。平熱より高い。風邪をひいたのかもしれない。自分でも少しだるく感じるらしく、いつもは私やまやちゃんが帰るまで喋っているのに、今日は先にベッドに入った。

2月24日

昨日、氷枕をして眠ったので今日は熱もすっかり引いていた。寝坊してしまったので昼過ぎ自宅にじいちゃんから電話がある。爪切りをもって来いとのこと。爪切りをもって車で病院に向かう。私が来るとじいちゃんは、風呂に看護婦さんが入れてくれるといったのだけれど孫(私)が手伝ってくれるから、と遠慮して待ってたのだ、と言って準備を始めた。もう長いことじいちゃんの背中をながしてあげていなかった。いつも大学の休み期間の帰省中に一度あるかないか、ぐらいだったので。久しぶりにシャワーを浴びてすっきりした、と喜んでいた。

2月25日,26日

足の方も、そろそろ手術しませんか?と自分で先生に持ちかけるじいちゃん、先生は「そんなにあわてなくても大丈夫ですよ」と返された。体調はまあよく、心配もなくなってきたので、私も一時東京にもどることにした。そして今日は、じいちゃんが久しぶりに日記を書き始めた。

 

4.再入院・手術(母が記す)


1997年4月1日

朝8時に家を出る。途中 ラッシュ。病院到着8時45分頃。 8階へ行くと ちょうど 父がベッドに寝かされ、手術室へ向かうところ。 薬のせいで 話しかけると 返事したり 笑ったような顔はするけど朦朧としている らしい。8階から 2階の手術室へエレベーターで降りる。集中治療室から先は立ち入り 禁止区域。父のベッドが 看護婦さんたちに運ばれていくのを見送る。ここで こうやって 父を見送るのは何度目かな、とふと思う。廊下のつきあたりは 窓になっていて 明るい陽が差し込んでいる。今日は 快晴。昨日 テレビの天気予報を 見ながら、明日は晴天ときいて 父が「おお、あしたは晴れか。」と言ったあと 黙り込んだことを思いだす。2度延期になった、今日の手術の日を毎日 緊張しながら 待っていたのだろう。しかし、手術室へ向かう病院の廊下は どこも同じで、白い壁、天井の ジプトーン、蛍光灯、廊下はリノリュウム。この雰囲気は何とかならないものかと思ったり している。この廊下には 人間の生と死をはさんで いろんな人々のいろんなドラマが あったのだろう、と思い悲しくなる。と、向こうからやってくる浅井先生の姿が見える。 「もう、手術室 入りましたよ」といつもの人の心をなごませる笑顔を見せて、先生は 別室へ。手術室のほうから 父を運んだ空のベッドを押しながら 8階の看護婦 さんが 2人 戻って来る。私は売店へ 昨日頼んでおいた 手術用の腹帯の予備が届いているかどうかを聞きに行く。

 

8階へ戻る途中、父の弟ふたりと ばったり会う。父の見舞に来てくれた らしいが、受け付けで手術と聞いて 二人とも驚いている。この二人には 父の病気のことを言ってなかったので、どうして教えてくれなかったのかと叱られる。先の手術のことも知らない。8階の病室で 少しだけ 話しをして ふたりは帰った。誰も父の かわりに病気と戦うことは出来ないし、誰も父の痛みをかわりに引き受けることは 出来ない。父は たった一人で 82才の肉体と 生をかけて戦っている。 現在 11時20分。手術は3時間程と聞いているので あと1時間はかかるだろうか。 面会はたぶん 集中治療室へ戻ってからだろうけれど、1時か2時くらいになるのだろうか。

 

3時30分を過ぎる。手術室へ入って もう6時間半以上経過。8階のナースセンターへ 行き、手術が終わったかどうか、2階の集中治療室へ電話をしてもらう。たった今 手術が終わり 集中治療室へ戻ってきたので、面会にくるよう言われる。 浅井先生から手術の経過を話していただく。思ったより時間がかかってしまったとの先生の コメント。父は 名前を呼ばれると うなずくが まだ 意識ははっきりせず。開腹の時間が 長かったので腸が早く動いてくれれば、とりあえずの心配は無いという先生の説明。先生も すっかり 疲れている様子だった。夕方 もう一度、面会に来る旨告げて、集中治療室を出る。 父に心からのご苦労様を言いたい。そして 浅井先生にも。後は 順調に回復してくれることを 祈るばかり。8階の病室へ戻ると すっかり 陽は傾き 夕日が差し込んでいる。

 

PM6時 集中治療室へ行く。体温が上がらない(35度以下)そうで、湯たんぽや お湯を流したヒーターで看護婦さんが一生懸命 暖めている。意識はまだ はっきりしない。父は着衣が一切無しで、ベッドに寝かされている。胸からお腹にかけて 大きなガーゼがあたっている。染み出した血がその厚みを通して蒲団を 赤く染めている。胸には50日前の傷が今だに痛々しいのに、また 新たに30センチくらいの傷。意識がもう少しはっきりしたら 連絡をくれるとの看護婦さんの言葉を聞いて、集中治療室を出る。8階の病室で待機。

PM10時半ころ 外の空気を吸いに行こうとエレベーターに乗って1階まで降りたところで浅井先生に会う。一緒に集中治療室へ。父はかなり意識がはっきり戻ってきており、少しだけ話をする。体温も36、5度まで上がり、看護婦さんもホッとしている様子。父は暑いから蒲団や湯たんぽをどけて欲しいと言う。じゃ、一時 ヒーターも止めましょうと看護婦さんが、暖めていたものをはずす。先生から これで一安心との言葉を聞いたので 1度 帰宅することにする。先生もぐったりしている様子で、申し訳なく思ってしまう。高齢で リスクの高い父のような患者は よその病院では引き受けてもらえない。やさしく、有能な先生に巡り会えた事を心から感謝せずにいられない。

 

PM11時すぎ 家に帰る。長く緊張した1日だったけれど、まだ 楽観はできないので 明日 午前中に病院へ行こう。早く集中治療室を出たいと言う父の希望だけれど、1週間は そこで回復をはかることになるだろう。これからも しばらくは緊張状態が続きそう。電話が鳴る度に胸がドキドキする。

 

4月2日

  午前11時30分 病院集中治療室へ

意識はすっかり戻り、30分ほど 話をする。痛みは それほどには感じていない様子。体温は37度ちょうど。左足の全く触れなかった脈がちゃんとある。看護婦さんから ティッシュをもらって口や鼻を自分で拭いている。眼鏡と義歯を欲しいと言うので看護婦さんに聞いたら、持ってきてくれる。やたらと手術をしたお腹のあたりを触っている。私に その手術の箇所がどうなっているか見てくれ、と言う。とんでもない、と断わる。(笑)

父に 集中治療室なので これ以上長く 居られない旨 説明して夕方にもう1度 来るからと約束する。父はそれまでの時間を8階の病室で 寝てこい、と私に言う。心の中では きっと もっと側にいて欲しいだろうにと、かわいそうに思う。

午後6時
父は少し混乱している。時々 差し込みがくると訴える。咳をしたりすると とても苦しそうにする。お腹に入っている管の上のガーゼはもう血の色がほとんど消えかけている。いろんな事を話すけれど、夢と現実と過去が交錯しているような内容。浅井先生がいらっしゃったので、その事を話すと今晩は少し 眠れるようにしてあげましょう、と言う。

今日は1日中 雨が降っていた。夜になって 雨は一段と激しくなる。父の様子が気になるが、7時すぎ病院をでる。

4月3日

午前11時40分
集中治療室へ
昨日よりも 興奮がひどく、混乱が続いている様子。しばらくすると、となりのベッドに緊急の心不全患者が来る。大勢の看護婦さんや 医師、検査技師の人が集まり、にぎやかになる。心電図を計る電子音や機械の音も大きく聞こえてくる。父は すっかり興奮して混乱がひどくなり、8階の病室へ戻って休みたいと しきりに訴えてくる。看護婦さんに車椅子か歩行器を持ってきて欲しい、スリッパをくれと 何度も頼んでいる。浅井先生がくる。先生の問いかけには しっかりと返答している。先生は順調に回復していますよ、坂井さん、と。何となく父の目つきが宙に浮いているような感じだ。しきりに部屋へ戻って休みたいと言う父を見ていると、かわいそうになってくる。ちょっと、起こしてくれ、を繰り返し言う。腰が痛くてたまらない、と訴える。先生に今晩はおかゆでいいから 食べさせて欲しいと言う。1時も15分を回り、私はもう部屋を出なくてはいけないので、夕方にまた来る、と約束して集中治療室をあとにする。大丈夫だろうか、と少し不安。

午後6時30分
父の混乱は いっそうひどくなっている。夕方1度 起き上がろうとして沈静剤を打たれたと、看護婦さんから聞く。でも 眠るどころか 興奮状態が続いている。手術の麻酔から覚めて以来、3日間 ほとんど眠っていないと看護婦さんが言う。口の中が乾いて白くなっているので、看護婦さんが水と薬を脱脂綿に含ませて拭いてくれる。時折、ひどくお腹が痛いと言う。まだ お腹のガスは出ない。お茶が飲みたい、とか ラーメンを食べに行こうとか 言う父。1日も早くガスが出て、集中治療室から出られることを祈るしかない。父の混乱は 集中治療室にいる限り、続くのだろうか。私がじゃあ、そろそろ帰るね、と言うと一緒に帰ると言い、 いつもなら「気をつけて帰れよ」と言ってくれるのに、今日は納得してくれない。気掛かりで、なかなか側を離れることが出来ない。こんな哀れな父の姿を見るのは初めてだ。人の歩く音や 声が聞こえるとすぐに頭を起こしてそちらの方を見ようとする。今晩 ぐっすり眠れますようにと 祈りながら 部屋を出る。すぐに戻ってくれ、と言う父の言葉を心に残しながら。今日も1日中 雨。駐車場に止めた自分の車をなかなか 見つけられず、どしゃ降りの中、すっかり濡れてしまった。

4月4日

午後12時
久しぶりに雨が止んで、でも空は 今でも降りだしそうな曇り空。
今日は少し落ち着いている。でも 話す内容は混乱が続く。手を縛られている。看護婦さんの話では、夜中に混乱がひどくなり、点滴の針を抜こうとしたり、天井に虫がいっぱいいる、と不安がったりして大変だった、とのこと。天井のジプトーンの模様は、混乱していると虫に見えるかもしれない。手が動かせないと 悲しそうに言うので、看護婦さんに縛っているひもをはずしていいかどうか聞いてみる。私がいる間だけ、という条件で はずしてもらう。父は自由になった手で、目をこすったり、顔を掻いたりしている。お腹がとても痛い、と言う。今日は 少し眠そうに見える。額に濡れたタオルを 看護婦さんの許可をもらってのせてやると 眠ってしまった。手術の日以来、父の眠る姿を初めて見た。少し安心する。父が入室した時、集中治療室は 患者が2人だけで、広々と静かだったのが 今日 来てみると 昨日の急患も含めて4人増えて、ベッドは満床となっている。とても あわただしい。洗濯物をいっぱいもらって 部屋を出る。

午後6時
手を縛られた父は これを早くはずせと怒りながら言う。苛立っている様子。話の内容は全く支離滅裂で理解出来ず。うちへ帰って何か食べようと しきりに言う。何故 ここにいなければいけないのか?と言うようなことを 何度も聞く。浅井先生がいらして、坂井さん どうですか?と尋ねるとその時だけはしっかりと はい、大丈夫ですと答える。先生は父の混乱は一時的なもので 物が食べられるようになって管や点滴がはずれれば 元に戻りますよ、と言う。

 

夜になって 雨が降り始める。

4月5日

午後12時半

集中治療室へ入ると 父がベッドの横に椅子をもらって こちらを向いて座っている。父の前に予備の椅子があったので 向かい合って座る。間にはちょっと背の高いベッド用のテーブルがおいてある。少し話しをしてみる。自分が病院にいると言うことが全くわかっていない。父の前に置かれたテーブルは 立ち上がって歩き出さないための 防御壁のかわりだと看護婦さんが言う。自分で横飲み(吸い飲み)を持ち、水を少しだけ 飲んでいる。やっと水が飲めるようになったのだ。父の座っている場所からは、ちょうど集中治療室のすべてが見渡せる。そこに座って本人は仕事をしている気分でいるつもりらしい。話す内容はちっとも現実に戻らない。水をいっぱいもらって飲んだらさあ、帰ろうと私に言う。帰るために おしっこの管の先にあるビニールの袋をベッドからとりはずそうとする。それが自分の体に繋がれていることだけは わかるらしい。看護婦さんに注意され あわてて元に戻す。何かをしようとすると すぐに 「ダメよ、坂井さん」と言われるので びくびくしながらも相当に苛立ちがつのっているようだ。事務所で女の子たちに指示を出すようにして、看護婦さんに訳のわからない指示を出している。となりの患者に話しかける看護婦さんの声にいちいち 答えている。と、突然「へが出た」と言う。看護付さんに言わなきゃ、と私が言うと「そんなこと、言うな」と怒る。ああ、やっとガスが出たのだ。帰ると言えないので ちょっと洗濯をしてくる、と言うと すぐに戻れや、と私に言う。わかった、すぐに戻るからと言って 部屋を出る。水が一口でも飲めるようになったこと、ガスが出たことに ホッとする。

 

  午後6時半

父はベッドの上で ひとり何かをしきりにしゃべっている。右となりの物いわぬお婆さんに 風呂へ入ってきたんか?とか ふろはどうやった?とか あんた どこから来たんや?とか たずねている。風呂へ入って髭を剃りたいと言う。左となりのベッドのお婆さんを あれはどこから来た人やと私に聞く。みんな 病気でここのベッドにいるのだと説明するが 納得しない。ここは病院か?と何度もたずねたりしている。蒲団のあちこちに血痕がついている。蒲団の端の血痕をたぐり寄せて、これ洗ってくれと言う。看護婦さんが となりのお婆さんに「ベッドもう少し倒したほうがいいね」と言うのを聞いて 「ほやね」と返事している。「おばあちゃん、ごはん おいしかった?」と言うのを聞いて 「いえ、わしはまだ 食べとりません」と答える。でも 看護婦さんの話では 明日の朝には重湯が出るらしい。よかった。父に何と言って部屋を出ようかと悩んでいるうちに、父がうとうとし出した。しばらく目を覚まさないかどうか見ていると、軽くいびきをかき始めたので そっと側を離れ、看護婦さんに目礼をして部屋を出る。看護付さんも無言でうなずく。

 

4月6日

午後12時
ベッドに座っている。重湯とスープのようなものと プリンのようなものが 昼食に出てくる。重湯の容器を持つけれど、手がふるえて容器がかたむき、こぼれそうになる。でも ゆっくりと 一口飲んで、うまい、また一口飲んで うまい、と とてもうれしそうに食事をしている。話をするとちゃんと現実を認識できているようだ。ここは病院だよね?と聞くと そうだ、と答える。でも昨日の夢の話をし出すと、まだ 現実と交錯している。しかし驚くほど しっかりとしてきた。食事が終わって私の持ってきた新聞を広げる。でも 読むと言うよりも眺めている風だ。まだ 活字を読むのは無理かもしれない。髭を剃りたいと言うので、電気剃刀を持たせたら 鏡を見ながら自分できれいに髭を剃った。その後、櫛でていねいに髪をなでつける。鼻のチューブもはずれている。私が じゃあ、私も食事をしてくるね、と言うと おお、何か食ってこい、と返事をした。よかった、ずいぶん しっかりとしてきた。

午後5時50分
集中治療室へ入ると 看護婦さんが 場所を移動しました、と言う。心臓の手術のあと 1度入ったことのある集中治療室内の個室に入れてもらえた。ベッドに座ってテレビを見ている。点滴がひとつだけと、おしっこの管と酸素吸入だけになった。もう すっかり 混乱は無くなり冷静に話を出来るようになった。夕食を看護付さんが運んできて下さる。重湯とゼリーとオレンジジュース。父は残さずきれいに食べた。手もふるえていない。きっと今晩はぐっすり眠れることだろう。周りの患者さんの声も機械の音も聞こえない。手をしばっていたロープも看護婦さんが もう必要ないですね、とはずして持っていってくれた。混乱していたときの事は全く覚えていないけれど、痛かったことと苦しかったことだけは しっかり覚えている。看護婦さんの話では 浅井先生が明日にでも 一般病棟のほうに移ってもいい、と言っているとのこと。回復してきたことが実感として感ずることが出来て本当にうれしい。食事を終わり、テレビを見ていた父が 眠りだしたので、私は帰ることにした。外は今日も雨。もう ずっと雨が続いて 毎日灰色の空だったけれど、今日はそんな雨の空さえ 明るく見えてくる。

 

4月7日

午前11時半

看護付さんから 今日の午後2時に一般病棟へ移れますよ、と言われる。父はうれしそうに そわそわとベッドに座っている。おしっこの管もはずれ、最後の点滴と首の管もはずされている。父の昼食を手伝って いったん 集中治療室を出る。

午後1時50分

父は相変わらず 準備をして ベッドに座っている。8階の看護婦さんが迎えにきてくれるのを待つ。私は少ない荷物を先に8階の病室へ運ぶことにする。父は看護婦さんたちが仕事をしているカウンター机の前に座らせてもらって 待つ。皆から 集中治療室での出来事を覚えているかと聞かれて少し バツが悪そうに笑っている。集中治療室内の個室は出る今になって 2月にも心臓の手術の後、入室していたところだと思い出す。

午後2時10分

8階の一般病棟の部屋へ入る。8階の看護婦さんの何人かが部屋を訪れ、坂井さんお帰りなさい、と言ってくれる。本人も心から安心した様子。部屋へ入って座るなり、置いてあったチョコレートを食べ、叱られる。先生も部屋へ父の様子を見に来てくださる。しばらくして、ベッドに入り、眠ってしまう。これで あと 退院までの日を ゆっくりと回復をはかることができそうだ。先生が約束通り6日目で 父を集中治療室から 出して下さったことに感謝。集中治療室での父を見ていると とても5日間で出られそうにないと思ったけれど、ちゃんと 順調に回復している。

 

4月8日

午後 病院へ
ベッドで寝ている。動くとお腹が痛いと言って あまり動こうとしない。
午後5時過ぎ 他の患者さんの手術を終えた浅井先生が 部屋へ傷の消毒に来てくださる。処置のあと先生と一緒に廊下を一回り 歩く。ふらつくこともなく、しっかりと歩く。今日で手術からちょうど1週間だ。高齢で受けた大きな手術だったのに 信じられないほど元気に回復してきている。

 

5.退院準備(母が記す)

4月9日

半分だけ 抜糸。あとは様子を見て 明日あたりに残りを抜糸するらしい。腹帯でお腹回りを固定してみる。ずいぶんと楽だと喜ぶ。食欲もある。廊下を 3度に分けて歩く練習をした。入院からまる2ヵ月が経ったので 筋力も低下していることだろうし 少しずつだね。

4月10日

残り半分の抜糸。腹帯はつけずに歩く練習をするようにと先生に言われたらしい。歩いても以前のように足の感覚が無くなることがない、と 喜んでいる。でも ずいぶん歩いていないので ふくらはぎが痛むらしい。看護婦さんが湿布をしてくれる。食べ物も全粥になった。あと もう少しで 何でも食べられるようになるだろう。お腹はまだ少し痛むらしいが 顔色も良いし、元気に話をしている。病院へ入って今日でちょうど63日目。浅井先生は 途中 東京へ学会出張で出かけた日以外は毎日 父を診に来てくださっている。一体 いつ お休みがあるのだろうかと ふと思う。父は退院できる日がいつか、と話題はそればかり。ここまで 順調に来たのだから あとは回復を待つだけだもの。あせらずに 大事にしなくては。

4月11日

今日は 気持ちのいいほどの青空
金沢の桜は今日が満開。夕方4時すぎ 浅井先生に父を桜を見にドライブに連れ出して良いかどうか 聞いてみる。先生はふたつ返事で OKを出してくれた。昨日 抜糸が終わったばかりで 本人もまだ痛がっているので ダメと言われるかと思っていたのに 予測に反してうれしい了解がもらえた。父もとても喜び、早速 パジャマから セーターとズボンに着替える。洋服をちゃんと着ると 気分までしゃんとする、と言って喜ぶ父。車で兼六公園下まで行く。お花見の人達が石川門の下にいっぱい いる。きれいだねー、と車を止めて見ていたら、通りかかりの女の人が写真を撮ってあげましょう、と言う。車をおりた父と一緒に 持っていたカメラで写真を撮ってもらう。それから 県の美術館のほうへ登り、もう1度下って 石川門へ。山を見たいと父が言うので 卯辰山へドライブすることにする。山をひとまわり、途中で車を止め 夕暮れの金沢市街を眺める。桜も金沢の町も茜色に染まってとてもきれいだ。桜を見に来ている人も少ない。父が 元気に回復して こうやって一緒にドライブしながら桜を眺めることが出来るなんて、2月には想像さえ 出来なかったのに。今の元気な父を見ていると この2ヵ月余りの闘病生活、つらい手術のことが思い出され、うれしさで胸がいっぱいになる。1時間もすると 父は疲れたのか 病院へ戻って休みたいと言い出した。4月1日の手術以来 外出は初めてなので 疲れたのかも。6時 病院へ戻る。疲れたと言いながらも 夕食は全部きれいに食べてくれた。

4月12日

今日は 夕方 事務所の宮野さんといっしょに 父の病室へ。
昨日よりもずっと 元気だ。もう 以前 毎日事務所へ出ていたころの父と変わらない。会社の業務日誌に目を通す。気になっていた仕事について 2、3質問してくる。いつ 会社へ戻っても大丈夫そうだ。夜 血圧や体温を計りに来た看護婦さんに「明日 浅井先生は来てくれるかね?」と父がたずねる。「明日は日曜日だから どうでしょう」と答える看護婦さんに 父は何となく心細げに「ほーか」と うなずく。毎日 先生の顔を見ているから 先生が来ないと聞くと かわいそうなほど寂しげで子供みたいで 笑ってしまった。

 

4月13日

今日も天気がいい。朝から たくさんの見舞客がくる。夕方 最後の見舞いの人が帰るまで 元気に応対していた父だったが、最後の人が帰ったとたんに とても疲れたと言ってベッドに横になる。夕食はちゃんと食べて 7時過ぎには眠ってしまった。かわいそうに、ずいぶん疲れてしまったのだろう。

4月14日

今日からリハビリを始める。リハビリはつらい?と 聞くと ぜんぜん、と返事が戻ってきた。でも長い入院期間中に 体重も7キロ減ったし、筋肉もすっかり落ちてしまった。リハビリで筋力を回復して 元気に退院しなくてはね。

4月15日

浅井先生が 4月30日に退院しても良いと 言ってくださったと 事務所へ電話をかけてくる。子供のように 喜んでいる。本当に あと 2週間だね。よかった。

4月25日

退院後のことについて 先生と話しをする。

 

6.退院後(もな記)

1997年5月1日

わたしはてっきり5月1日に退院するものと思っていたので、前の日、家に電話をしたらいきなりじいちゃんが出たのでびっくりした。じいちゃんの方が先にご帰宅。私は次の日に東京から帰省。もうあたりまえのように家のなかにじいちゃんが戻ってきていた。一緒にごはんを食べる。すごく嬉しい。

3ヶ月前、82才の身体で心臓の手術をする、と聞かされ、危篤状態のおじいちゃんを見ていたときの私は絶望感で一杯だった。幸いにして手術は成功した。全ての心臓の手術がこのように行くとは限らないし、いずれ人は死ぬのだから今の幸せはいつか終わりがきてしまう。それでも、突然訪れたこの病気で、もう2度と一緒に食事に行くこともできないかとやりきれない気持ちになっていた頃のことを考えると、今また一緒に食事にいけることが本当に幸せだと思う。

 

ひとりで自転車に乗ってお墓参りにいけるほどの回復ぶり。ただ、入院中に10キロやせてしまったので、体力がおぼつかず、運動のあとはすこし疲れやすくなってます。あまり無理をしないでほしい・・・(monna)

 

1998年2月13日

このホームページができてから、もう一年近くがたってしまった。今年の1月15日で、じいちゃんは83才の誕生日を迎えた。毎日、朝から事務所に出て、お客さんとお話をしているらしい。

今月に入って残念なことに、治作さんのお兄さん、妹さんが相次いで亡くなった。今日は85才だったお兄さんのお葬式。じいちゃんは静かにお兄さんの最後を見守っていたが、ため息が悲しそうで、そんなじいちゃんを見て私は何も言えず、涙が出た。人が亡くなっていくことは ものすごく切なくてつらい。

 

(出典:坂井治作氏のお孫さんのホームページ

http://www.nsknet.or.jp/~maya/mygf/ 、文字着色はTTトムズ

 

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