バーチャルジャンクショントムズ

VIRTUAL JUNCTION

for HEART VESSELS PROBLEM

体験記:

PTCA3回そしてバイパス手術

54歳のとき、強度の狭心症を発症した柿澤さんは、

急速に進行する冠動脈の狭窄と闘いながら14ヶ月間に3回のフーセン

PTCA手術を受け、ついにはバイパス手術を受けました。

そして、術後5ヶ月目にはネパールへのトレッキングの旅に挑戦、

また週4日は4qのウオーキングをすると云うように

日々を前向きに過ごしています。

その柿澤さんの手術体験と術後3年目の状況を紹介します。

TTトムズ)

 

  自己紹介: 柿澤邦雄 (e-mail: kaki@green.ocn.ne.jp

  生年月日: 1938年9月生まれ 、還暦を迎えました

  趣   味: パソコン(始めたばかり)、読書、鮎釣り、旅行、現在韓国語に挑戦中

        2002年のワールドカップに日本人を案内出来るようにとガンバッテいます

  家  族: 妻と1女2男

  オ  ペ: 自治医大大宮医療センター

 

            Joa Land/心臓病との戦い」

Joa Land とは、私が個人的に技術指導している韓国の中小企業グループの名称です。4年前(1994年)に狭心症で心臓のバイパス手術を受けました。36年勤務した電機会社を途中退職し、現在も心臓病と仲良くしながら韓国の田舎で毎月の半分を暮らし、ビジネスを通し韓国との出逢いと新たな発見を求めています。

 

<目次>

  発病

  再発入院

  3回目の入院

  4回目の入院

  バイパス手術

  術後のリハビリ

  退院

  術後の経過

  3年後の経過

 

 

□ 発病

 

私は1992年8月に不安定狭心症を発病しました。その後2年間に3回の冠動脈拡張治療(PTCA)を自治医科大学大宮診療センターにて実施しましたが完治せず、94年6月に冠動脈の3個所が再狭窄したため、心臓バイパス手術を行い現在まで心臓病と仲良くしながら暮らしています。

 

初めて異常に気が付いたのは「鮎の友釣り」をしていた時でした、那珂川の清流に浸かりながら先ほど取れた鮎を流れの強い瀬に泳がせた瞬間、ガク、と大きな手応えがありました、これは大きいぞと引き抜きの体制を取った時、急に胸の痛みと同時に息苦しさを感じたのが始まりです。

 

その後は単身赴任先で出勤途中に、駅の階段を上がる時、やはり同じ様な息苦しさを感じましたが、しばらくじっとしているとすうーと治るのであまり気にしませんでしたが、毎朝繰り返される現象が気になり、会社の診療所に行きました。そこで初めて狭心症の疑いが有ると診断され、直ぐに自治医大病院にて入院検査した結果、心臓を取り巻いている冠動脈三本の内の一本が95%狭窄している事が判明。直ぐにフーセンと呼ばれているPTACを実施し狭窄部を広げる治療を実施しました。

 

治療後の説明では約30%の確率でまた再狭窄すると説明に、いやな予感をしながら退院したのを覚えています。

 

動脈の血管が5%しか流れないので、心臓の動きが制限を受け息苦しさを感じるとの説明になんとなく解ったが、なぜ狭窄するのか真の原因はまだ解らないらしい。

ただ

タバコ

高コレステロール

運動不足

ストレス

遺伝的体質

 

などが考えられる要因との事でした、私の場合思い当たるの因子は運動不足とストレスぐらいかなと思いながら退院しました。

 

 

□ 再発入院

 

93年8月1日朝5時頃手洗いに行く途中急に胸が痛み出す。!かなり痛い!。持っていたニトロを舐める。痛みが止まらずもう一度舐めると少し落ち着く。病院に電話し指示を仰ぐ。直ぐに近くの病院に入院するように指示され、救急車で近くの日赤病院に入院。病状を落ち着かせ、一週間後に自治医大大宮医療センターに転院した。

 

ここでの検査結果と処置は次の通り。

 

今回100%近く狭窄している個所が新たに見つかった。この部分の固まった血液を溶かしPTAC(フーセン)を実施しその後カッターで削り取った。

 

この時多量の造影剤を使ったので、肝機能障害を避けるため昨年PTCAを行った狭窄部には手を付けられなかった。今回は執行猶予付きの退院との説明であった。

 

 

□ 3回目の入院

 

93年10月27日朝6時頃ウオーキング中に胸の痛みを感じる、食事や運動など、先生のアドバイス通りの生活をして来たつもりだが、再発したようだ。薬を飲む事や、魚を食べる、運動をする、などは対処療法であり根本解決にはならないとの先生の説明があった事を思い出した。

 

会社の仕事で出張中などの時、時々痛みがありその都度ニトログリセリンを舐めながら仕事は続けた。11月16日再度入院しカテーテル検査した結果は、8月に削り取った直ぐ先の部分が95%狭窄しているので直ぐに治療を開始した。約1時間ぐらい掛けて動脈内の血の固まりをカッターで削り取り取った。

 

冠動脈は心臓の周りにある血管で直径が約2〜3mmと聞く。この中にカテーテルと呼ばれる細いパイプを腿の付け根から心臓まで通し、その先に付いているカッターで血管内を削り取ると言うのだが、まさに神業に近い治療が終わり、午後三時頃CCU室に戻る。

 

無事退院となりまた単身赴任生活に戻ったが、再発の恐怖を感じながら仕事に復帰した。しかしポケットにはいつもニトログリセリンがあった。

 

 

□ 4回目の入院

 

94年4月14日朝の出勤時に那須塩原駅の階段を上がる途中から胸が痛み出す。階段を上がったところで我慢出来ないほどの痛みが有り、直ぐにニトログリセリンを服用した。

 

次の日の朝は階段をゆっくり登ったが、やはり痛みがあり歩けない。ニトロを使い、やっとの事で電車に乗り込んだ。もはや疑いなく狭心症の再々発症だと思う。毎日ニトロを使いながら暗い思いで通勤し仕事は続けた。

 

4月25日の自治医大での定期検査で入院した方が良いと言われる。今度こんどこそは手術かもしれないと覚悟を決め、仕事は続けながら入院日の連絡を待った。

 

 

□ バイパス手術

 

1994年5月23日、半年ぶりの自治医大の東病棟である。2日後にカテーテル検査をしたが「前回治療したところがかなり詰まっている。前回と同じ事をやってもまた詰まる可能性があり、また狭窄部が長く(約3cm)ステントといわれる金属パイプを入れるにしても二本入れる必要があり、継ぎ目の部分が再度狭窄する確率が高い。外科、内科の合同検討会での結果としてバイパス手術が良い」との結論である、と主治医の小林先生が話してくれた。

 

6月10日、外科の村田先生から説明を受ける。レントゲン写真を見せながら私の場合、「右冠動脈1個所、左冠動脈1個所、回旋枝二個所、計四個所狭窄している。バイパス血管は足から取った静脈を繋ぎ、回旋枝はやはり静脈を橋渡しして繋ぐ。左冠動脈1個所は今回の主要病根であり重要な冠動脈なので内胸動脈を使う予定。」

 

手術の危険率は5%である。手術の承諾書に家族と親族の代表のサインをもらってナースセンターに提出した。

 

今回の事は自分の人生の中で最大の事件であり、暗く重い決断をした事になるが、周りに多くの手術した人がいるせいもあるのか、平常心でいられるのが不思議な感じである。

 

手術日の2日前になると手術に備えて全身の毛剃りと消毒、心電図検査、麻酔科の先生が麻酔の危険性についての説明と採血、その後手術室の看護婦が来て手術の内容の説明、午後にはICUの看護婦が来て集中治療室の説明があった。

 

各セクションの担当者が来て次々と説明するのは、患者への理解と共に患者の確認と患者の性格の調査も含んでいるようだ。

 

手術前日はなにもする事が無くベットの上でいろいろ考えた。家族の事、会社の事、友人やいままでお見舞いに来て励ましてくれた人の事、そして親戚の姉から言われた「遺言状」を妻あてに書く。もし元気になったら今までと違う人生を送りたいと強く思う。

人生における成功とは何だろうか?自己実現の欲求が満たされているかどうかではないのか、経済的収入を得るだけの為に自己犠牲を続けるよりも、自己充実を遂げながら個性発揮の人生を目指す方向に進みたいと思う。

 

6月13日、手術日の朝、8時前看護婦が来て肩に麻酔の予備注射をする。だんだん眠くなり、ストレッチャーに乗せられ手術室に入り、手術台に載せ替えられ点滴を付けられるまでは覚えているが、その後の事は意識なし。

 

少し眠ったかなと思いながら眼を覚ます。痛みがない。声が出ない。看護婦に時間をメモで聞く。午後11時との返事。直ぐに家族が来て心配そうに覗き込んで話し掛けてくれた。手術は6時間ぐらいかかったようだが成功したらしい。

 

体中にパイプが有るようだが、ねたり、おきたりで昼夜の区別がつかないが気分は良い。いつのまにか首に入っていたチューブが抜かれ、口の中に入っていたプロテクターが取れていた。声も出るようになった。この日に飲んだ水が美味しかった。この美味しさは忘れられない。

 

集中治療室のベッドで休んでいると、家内が会社からの転勤命令を持ってきてくれた。この時のやるせない思いは決して忘れないであろう。本人が手術をし、まだ何も言えないとき、突然の転勤命令とはと思いつつ、私が36年勤務した会社はこんな思いやりの無い会社だったのかと考え込んでしまったことを思い出す。

 

 

□ 術後のリハビリ

 

6月17日

 手術後4日目でリハビリが始る。100Mを歩く。咳が出て胸に響き痛い。

 

  20日

 200Mを歩く、合格。

 

  21日

 500M、合格。咳が出る特に話をすると余計に出て止まらない。胸の手術後が痛い、苦しいが痰を出せ、運動しろとの先生の指示である。

 

  22日

 午前午後500Mを歩くが、夕方38度近く発熱する、小林先生の話では発熱の原因は肺に水が溜まっているか、心臓を取り巻いている薄い膜に傷がついているかが考えられるとの診断。

 

  24日から

 時々発熱があるため抗生物質の点滴開始。心エコー検査の結果、多少心膜炎を起こしていると説明あり。この病院に入って感じる事の一つに、患者に対し細かくわかりやすく病状とその治療内容を知らせてくれることである。

 

  27日

 レントゲン検査、トレッドミル検査の実施。年齢から割り出した運動量の70%でベルトコンベヤーの上で歩く。たいした運動量ではなかった。

 

  28日

 抗生物質の点滴は止める。替わりに消炎鎮痛剤(クリノリル)を投与する。このクスリは今まで飲んでいたボルダレンSRと同じ効力がある。毎日午前と午後2回500Mのリハビリは続ける。心筋シンチグラム検査の実施。

 

7月 1日

心肺機能検査がある。マスクを付けてベルトコンベアーの上で段々スピードとコンベアーの角度を上げて行きながら酸素量、炭酸ガス量、心電図、脈拍、血圧を連続して測定する検査である。

 

 結果は

  運動時間:12分44秒

  運動能力: 6.7METs(METsとは運動エネルギー量が安静時の何倍かを示す値である)

 

7月 4日

 小林先生から次の説明あり。

                                  

酸化マグネシュウム、クリノリルの投与をやめる、これで発熱が無ければ問題無し。

7日にカテーテル検査を行う予定(このための承諾書を提出する)。

酸化マゲネシュウムは便が固くなったら適宜飲んで良い。

カテーテル検査で問題なければ11日に退院する。

 

 

□ 退院

 

退院前のカテーテル検査の結果は、内径動脈のバイパス接合部が折れ曲がっていて、50%ぐらいすでに狭窄している。しかし血液は思ったより流れていて、その他の検査でも問題ないとの説明があった。

最終試験で100点は取れなかったがやもうえないと思う。今後のクオリティライフを心がける以外なし。

 

 ・運動を続ける

 ・体重を増やさない(57kg)

 ・バランスの良い食事、1800Kcal,塩分:0.7g/日

 ・アルコール、ビール1本/日

 ・入浴、ぬるめ(39℃〜40℃)

 ・ストレスの発散(これが一番重要)

 

7月11日、に入院し50日、手術後28日の間に大変お世話になった先生、ナースセンター、UCCの看護婦にお礼を言い午前11時に退院した。

 

この間の入院、手術に伴う総費用は約600万円であり自己負担分は次の通りである。

 

 ・入 院 期 間:50日(5月23日から7月11日)

 ・総 費 用:690,247円(但し病院でかかった総費用は約600万円)

 ・入 院 医 療 費:379,840円

 ・家族付添い関係:160,407円

 ・お 礼 そ の 他:150,000円

 

退院後一ヶ月間自宅で療養し、その後子会社に勤務するようになったが、特に仕事がある訳ではない。あまり無理するなといわれても仕事が無いほど毎日が辛い事はない。

3年間の単身生活が自宅からの出勤となったが、自宅から東京にある子会社に1時間半かけて新幹線通勤するのは心臓手術後の私にとってつらい毎日である。しかし家族のためにも我慢しなければと思いつつ通勤したが、この時から退職を真剣に考えるようになった。

 

 

□ 術後の経過

 

1994年10月、国際交流会の皆さんと蓼科高原に旅行する、この旅行の経験から自信が出来、12月末にはネパールへトレッキングに出掛けた

 

病気に対する不安や、会社の事、仕事の事など今後の生き方に対して悩んでいたが、この旅での交流で何かが吹っ切れた。36年勤務した会社を早期退社し、今までと違う生き方をしようと決心した。

 

韓国の友人から韓国の中小企業の指導をして欲しいとの依頼があり、これからの人生はやりがいのある仕事をしたいと考えていたので「毎月半分は日本で過ごす事」を条件に承諾したしだいである。

 

退院時に先生から「6年間は保証しますよ」と言われた事を時々思い出すが、もう3年間が過ぎた。この間、週に4日以上の4キロウオーキング運動と食事には気をつけながら韓国と日本を行ったり来たりし過ごしている。

 

 

□ 3年後の経過

 

幸い今までなんの故障もなく過ごす事が出来ました。現在体重63s。毎朝3qを40分で歩く運動を続けています。また年に一回の自治医科大学での検査、毎月一回の大田原日赤病院での検診と投薬を受けています。

次の薬を手術以降ずっと飲んでいます。

          

 ・小児用バッファリン 毎朝1回 一錠

 ・解熱鎮痛消炎剤(血液の流れをよくする薬)

 ・マーズレンS顆錠 毎朝1回 1g

 ・消化性潰瘍剤 (胃の粘膜を保護する薬)

 ・ロコルナール錠 毎食後3回 100g

 ・血管拡張剤 (血液の流れをよくする薬)

          

 

しかし、バイパスした血管の再狭窄については時々気になります。

心臓病に関するホームページを開いている国立大阪病院循環器科の陳先生に質問しました。

「バイパスグラストの開存率は静脈グラフトで50%/10年、動脈グラスト90%/10年と言うのが過去のデーターであり、静脈の場合、採ってきた品質により開存率はバラツキがあります」との回答をいただきました。

 

最近では再狭窄の事はあまり考えずに、クオリティーライフ(生活の質の向上)に心がけ、毎日毎日を大切に過ごそうと努力しています。

 

(出典:柿澤邦雄さんのホームページ http://www.nasuinfo.or.jp/freespace/kaki の随筆から

  文中の赤字はTom’sマーク)

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                柿澤邦雄さんのホームページ

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