トムズハートジャンク

VIRTUAL JUNCTION

for HEART VESSELS PROBLEM

体験記:

心臓バイパス手術を受けて

 

「体の異常は当人が一番分かるのですよ。医者では

有りません」と、私はある高名な医師に言われた

ことがあります。ここでは、自分しか分からない異常を

訴えて、危ないところで一命をとりとめることが

できたある技術者による、発症から社会復帰までの

詳細な経過を紹介します。(TTトムズ)

 

報告:柞山 進(ほうさやま すすむ) (e-mail: hoh@mvj.biglobe.ne.jp

年齢:48歳(1950年7月14日生まれ)

職業:会社員(弱電回路設計)

趣味:山登り

 

要旨:狭心症を患い1996年7月にACバイパス手術を受けました。

    1995年12月の発病から職場復帰まで経験したことを中心に 記しました。

オペ:新東京病院(松戸市)

 

       1.発病から入院まで

       2.検査入院

       3.家庭での術前療養

       4.手術入院

       5.家庭での術後療養

       6.社会復帰

 

1.発病から入院まで

私が最初に痛みを感じたのは1995年12月の末だったと記憶しています。私の勤務時間はフレックスタイムであり、出勤時間は特に決められていません。しかし、通勤時間が1時間30分近くもかかるので始発電車で座っていけるようかなり早い時間に家を出ることにしていました。

 

その日もいつものように朝6時20分に家を出て駅に向かい歩き始めました。歩き出してから100m程で左胸から上腕にかけて何ともいえない痛みが襲ってきました。傷み自体は我慢できない痛さではなく、何の痛みだろう、そのうち治るだろうと思い駅まで歩き通しましたが、結局、駅について電車に乗り込むまで約10分間その痛みは治まりませんでした。

 

帰宅時は、会社から目黒駅に出るには行人坂という東京でも一番といわれるような急坂を登らなければなりませんが朝に比べ格段に痛い傷みが襲ってきました。左腕の中心がキリキリと傷み、できるものなら切り落としたいと思うほどの傷みでしたが不思議と坂を登り切り平坦になった道を歩き始めるとすぐに治まるものでした。

 

次の日の朝も前日と同じような傷みがありそれ以降もほぼ毎朝同様でした。そのうち会社で1階から2階へ駆け上がっただけでも同様の傷みが起きるようになりました。そして、傷みの意味が解らないまま3か月程が経ちました。 その頃(3月末)になりますと、左脇のあたりが寝ているときにも何となく痛むような症状が出てきました。

 

私は17歳の頃から花粉症に苦しめられていたので(発症当時は花粉症とは言いませんでしたが)最近では春先には2週に1度薬をもらうため通院していましたので医師にこのことを話し、心電図を取りましたが異常なく「特に気にすることはない」との事でした。しかし、それでも症状が続くので心エコーとマスタ−2段階試験を受けることになりましたが、この試験でも異常は見られませんでした。

 

2度の検査で異常は見つかりませんでしたが、しつこく異常を訴え、トレッドミル負荷試験を行うことになりました。この試験は当時私の通っていた病院では行えず後に入院することになる病院で行うことになりましたが順番待ちのため1か月半後の5月23日じゃないと行えないということで一時は試験を諦めようかとも思いました。

 

試験待ちの間に社内医の巡回があり相談しました。私が痛みを感じる左胸を指しながら症状を訴えたところ、「症状からでは心臓の病気とは考えにくいので一度整形外科で診てもらったら」という事でその後、整形外科で診察を受けました。レントゲン撮影による診断では胸部に異常はないとのことでした。

 

そうこうしている間にも時間が過ぎ、5月23日にトレッドミル負荷試験を受けましたが、試験中にかなりの傷みが現れ、医師から「今日は出来るだけゆっくり家へ帰って下さい。そして来週出来るだけ早く今掛かっている病院へ行って結果を聞いて下さい。」と言われ事態の深刻さが何となく解ってきました。

 

翌週、5月27日月曜日、午前中に結果が届いているのを確認し、午後会社を早退して病院へ行きました。検査結果を見た医師は当初、薬で様子をみるようなことを言っていましたが、最近の状態を話したところ、不安定狭心症の症状であり極めて危険な状態との判断で、即日の入院が必要となりました。しかし、この病院には心臓病関係の入院設備が無くまた、そのような設備があっても即日入院できる病院も多くは無いとのことで家からは距離があり不便でしたたがトレッドミル負荷試験を受けた立川相互病院に入院することになりました。診断から入院まで僅か2時間程の慌ただしさでした。

 

2.検査入院

入院時にはまず心電図の測定を行きましたが、発作が起きている時ではありませんので異常はありませんでした。医師からは「2週間程度、薬で様子をみ、その後カテーテル検査を行ってその後の治療方針を決めます。症状から冠状動脈3本の内1本が細くなっている可能性があり薬で何とかなるのでは。」との説明で多少は安心しました。病名は「不安定狭心症」でした。

 

入院翌日からの検査は採血、採尿、採便、胸部レントゲン、心電図、心エコーがありその結果、心筋梗塞には至っていず心臓自体は損傷を受けていないことがわかりました。少し落ち着いてからの方が良いとのことで次週の水曜日(6月5日)にトレッドミル、金曜日(6月7日)にカテーテル検査を行うことになりました。また、コレステロール値は211で200を越えているが下げる薬の必要は無いとのことでした。

 

心臓カテーテル検査を控え以下の様な説明がありました。

 

1)心臓カテーテル検査とは
 
冠動脈に右足付け根の動脈からカテーテル(管)を入れて、造影剤を注入しレントゲン撮影でどこがどの位ふさがっているか、心臓の動きはどうなっているかをみる検査で、検査自体苦痛はほとんどなく造影剤を注入するときに瞬間的に下半身が熱く感じる程度のものです。

(実際、痛みは麻酔の注射が入る瞬間だけでした。)

 

2)危険性
 
全く危険性が無いわけでは無く1000に1程度のいろんな意味での危険性はあります。

 

3)事前準備
・床上排泄の練習: カテーテル(管)を入れる右足付け根の動脈の傷がふさがるまでの検査          24時間ベッド上で安静状態をとる。このため寝た状態で右足を伸ばしたまま排尿できるよう し瓶を使う練習をします。

・息こらえ: 大きく息を吸い込んで、お腹を膨らませた状態で10秒くらい息を止めます。

・剃毛: へその下から両方の太股までの毛を剃ります。

・下剤の服用: 検査中はトイレに行けないので当日の朝便を出すために前夜に下剤を服用します。

 

4)事前検査

  ・抗生剤

  ・造影剤のアレルギー反応検査

  ・RI検査

  ・負荷スペクトル: 点滴をしながらベルトコンベアの上を走った後、心電図を取って変化を

   みます。

・心エコー:超音波で心臓の状態をみます。

 

5)検査終了後

 カテーテルを入れたところを出血を防ぐため20分位圧迫した後、絆創膏で固定し1Kgの砂嚢を乗せます。このとき家族と一緒にビデオを見ながら医師から検査結果の説明を受けます。病室に戻った後、心電図モニターを付け、点滴500mlを2本行います。2時間後左足は軽く動かすことが可能になります。食事も可能になります。造影剤を早く排出するために水は多めに取ります。5時間後、ベッド上で座ることが可能となります。翌朝、医師がカテーテルを入れたところを確認し、異常がなければ安静解除になります。

 

1996年6月7日 カテーテル検査を受けましたが検査は30分程度で 終わりました。その結果、左冠動脈主幹部が90%、前下行枝が90%、回旋枝が75%と3カ所も細くなっているため手術の必要な状態であることがわかりました。

 

この病院には心臓血管外科が無く手術が出来ないので設備のある病院の手配を担当医にお願いしました。検査後も症状が安定していましたので検査の1週間後の土曜、日曜と試験外泊を行いました。発作に備えミオコールスプレーを持参しましたが使うこともなく無事外泊が終了しました。

 

先方の医師が海外出張で連絡が取れず手術日程が決まりませんので、一旦退院して手術を待つことにして6月20日に退院しました。

 

 この間の入院費用は5月分が14480円、6月分が93930円でした。

 

3.家庭での術前療養

安静を条件に退院を認められた自宅での1日の行動は朝7時過ぎに起き、ほぼ1日リビングのソファーで横になっていると言うものでした。

この間、発作は起きることはありませんでしたが、気にしすぎていることもあるのかも知れないが左胸から腕にかけての痛みは時折感じてはいました。また、発作が起きたときの為に救急車を呼ぶときの為に「119」へ電話したときの対応マニュアルを表にして電話の側に張り付けておきました。

 

 又、結果的には更正医療(費用の一部を公費でまかなう制度で、適用を申請するには身障者手帳が必要)の申請を行いまいたので関係ないことにはなりましたが、手術について一時的に準備しなければならないお金のこと等の心配もあり、会社を通じ健保組合へ高額療養費貸付制度や入院時負担金についての確認を依頼しました。

 

 この間検査を行った立川相互病院へは6月27日と7月11日の2回行って受診しました。その後、7月2日田村医師から「三井記念病院の方が一杯であり、ここで手術を行うとかなり先になります。手術する先生が先方へ出向く形になりますが、松戸の新東京病院か、湘南鎌倉病院であれば7月中の手術は可能であるがどうしますか。」と打診を受け、家に近い方の新東京病院で手術を受けることにしました。

 

しかし、初めて聞く病院名にどのような所なのか不安もあり、インターネットや会社同僚等に調べてもらったが4〜5年前に出来た新しい病院であるということしか分からず少なからず不安を感じました。その後、心臓手術では実績のある病院であることが分かり安心へと変わっていきました。

 

7月4日 新東京病院の山中コーディネータより「7月分の手術日程が決まった後で入った手術なので7月23日入院で29日の手術になる」との連絡が入りました。また、このとき狭心症でのバイパス手術は更正医療の対象となり公費補助の対象となるので手続きをしたらと進められ手続きを行ないました。

いずれにしても、この自宅での1ヶ月の期間は出来るだけ考えないようにはしたが極端に言えばいつ発作が起きそれが心筋梗塞となり死ぬかも知れないと言う恐怖感がありました。

また、ただ手術を待つだけで自分から能動的な働きかけが全く出来ない状態ではありましたが、日曜日に書店等に行ったりすることは大いに気晴らしになり精神衛生的には良かったと思います。唯一、この間行った仕事らしきものは子供の写真が未整理になっていたのを 年代順に整理したことでした。

 

4.手術入院

7月23日(火): 松戸市の新東京病院に入院。

入院後まず採血、採尿、心電図、レントゲン、抗生物質検査を行う。三井記念病院の堀井医師から手術についての説明が行われた。内容は「左冠動脈主幹部が90%、前下行枝が90%、回旋枝が75%狭窄している。他臓器の病気等が無いので合併症の心配は無い。

バイパスは年齢が46歳と若いので出来るだけ長持ちするよう内胸動脈を使用し2本の予定。

万一の時は腕の動脈を使うこともある。執刀する須磨医師は1本10分位で終了とのこと。

朝8時30分からはじめ終了は13時頃の予定。」というのが主なところであった。

 

7月24日(水): 検便、心エコー、胸CTの検査を行う。

手術時の麻酔等で術後、呼吸が十分行えなくなるのを予防するため呼吸訓練をトリフローで行いますが使い方の確認とたんを出しやすくするネブライザーの使い方を確認しました。

両方とも手術終了後1日4回実施。

 

7月25日(木): 腹部エコーの検査を行う。

7月27日(土): 麻酔科の讃井医師から麻酔についての説明を受ける。

7月28日(日): 明日の手術に備え臍の掃除を行う。

 午後から家族と一緒に手術後入るICUを見学する。就寝前に手術中に排便しないように座薬で排便を促す。しかし緊張しているせいか排便が無く浣腸をする。

7月29日(月)(手術当日):起床後に麻酔用の薬を1錠飲む。

  8:00 ストレッチャーへ移動し、筋肉注射をする。

  8:15 準備完了。

  8:25 血圧測定後手術室へ入る。

 12:00 須磨先生、山中コーディネータから手術の説明が行われる。

「バイパスを2本通して予定通り成功しました。後は1時間位かけて縫い合わせる。」との事。

 13:00 妻等4人がICUへ面会に入るが、麻酔が効いているので 3〜4分の面会。

 14:30頃 呼吸器がはずされ意識が戻った。

 18:30 家族ICUへ面会に入る。

 

7月30日(火)

11:00 家族ICUへ面会に入る。(15〜20分) 上半身起きあがり話をする。

  看護婦から「本人のため話を多くした方がよい」と言われ る。

18:00 家族面会。

  深夜胸腔ドレイン2本、胃ドレイン1本はずされる。

 

23:00 医師から「心筋梗塞の急患が入ってきたので個室ではあるが移りませんか。」との話があり、了解した。このように して当初予定していない個室に入ったことは精神的、肉体的に非常に楽であり結果として大変よかったと思う。

 

7月31日(水)

  1:00 通常は車椅子での一般病棟への移動ではあるが手術から1日半での移動であるためストレッチャーでの移動となり 715号室の個室に入った。

  8:00 おもゆでの食事が始まる。副食は通常と同じ。新聞を買ったが読む気力がおきなかった。

12:00 おもゆを食べる。

18:00 食事、おかゆ。堀井医師が訪ねてくれ「手術前の検査で貧血気味だったので自己血輸血は行わなかった。」と説明があった。また、酸素用のマスクが辛そうなのを見て少し小さいものと取り替えてくれる。今日は熱の為かほとんど眠っていた。薬のせいか夢というより幻想を見ている。

 

午前、尿パイプが抜かれ自分で排尿出来るようになるがほとんど出ない。夕方に少しでるようになった。排尿時ボコ ボコと音がすることがある。

   抗生物質の点滴のせいか8月4日の点滴終了まで食欲が無 い。

 

8月1日(木)

明け方になりようやく排尿が正常になった。午前 50m歩行訓練、午後 100m、200mの歩行訓練

 

8月2日(金)

座薬を使いようやく手術後初めての便がでる。トリフロー の吸気の方が前日に比べかなり楽になったように思える。午前 300m歩行訓練、午後 400m、400m+階段10段の歩行訓練。レントゲン、心電図の検査を行う。

 

8月3日(土)

絆創膏のかぶれがあちこちに出来かゆい。少し前屈みになって座っていると痛みはほとんど無い。午前400m +階段20段の歩行訓練、午後400m+階段30段の歩 行訓練。

 

8月4日(日)

 抗生物質の点滴終了。午前400m+階段40段の歩行訓練。歩行訓練終了。

胸腔ドレイン痕の糸の半分を抜糸、その後手術後初めての シャワーを浴びる。夕方、外出許可がでたので妻と松戸駅ビル7Fまで行って来る。

 

8月5日(月)

 心エコーを行った後、ホルタ心電図を1日間取り付ける。

午後、外出訓練で目黒まで行って来る。あまり疲労感は無 かった。

 

8月6日(火)

 胸腔ドレイン痕の残りを抜糸する。血液検査の結果がOKであり明日の退院が決<まる。

心電図、レントゲン撮影を 行う。午後、外出訓練で新橋へ行って来る。

 

8月7日(水)

 手術時、退院後の生活について説明を受ける。

手術時間 3時間5分、心臓停止 31分。肋骨は6カ所 ワイヤーで止めてあるが骨折状態にありくっつくまで2〜3ヶ月かかるので無理をすると永久骨折状態になるので重いものを持ったり胸を開くような運動はしないこと。また、車の運転もだめとのこと。新東京病院には心臓手術を受けた患者を中心とした患者会があるので入会手続きを行う。 入院時は車で送ってもらったが退院は歩けることもあり電車を使って徒歩で行った。

(手術から9日目での退院でした。)

 

入院費用は更正医療扱い分の7月分が7590円、8月分が5900円、個室使用料が84000円でした。

参考に新東京病院での入院経過スケジュールは以下の様です。

 

5.家庭での術後療養

<傷口の痛み>

 傷口にそって胸全体がしびれていました。多少の差はありますがこのしびれは続いています。病院では寝るときにベッドの上半身部分を少し起こして寝ていたのであまり苦にはなりませんでしたし気がつきませんでしたが、自宅ではそのようにすることが出来ず、平らに仰向けに寝ると胸が突っ張り痛んで寝られません。それで、上半身部分に掛け布団を敷き、少し高くなるようにして寝るようにしましたが寝にくく、普通に平らに寝られるまで2週間程度かかりました。退院直後はくしゃみをすると胸がかなり痛みましたが、2週間後には多少は痛みますが大分楽になってきました。

 

<背中の痛み>

退院当初は両肩のこりがひどく、特に右肩が痛みました。肩こりにはスプレー式のバンテリンを付けたところ肩こりはだいぶ良くなりました。

この痛みは退院後1週間位で一旦無くなりました。しかし、2週間後位から再び左首筋から肩にかけて痛みが現れ始めました。これは日が経つに従い痛みが強くなっていき、9月に入ってから整骨院にかよい始めました。3週間程かよいましたが一向に良くならないので時の経過でしか良くならないとあきらめ通院をやめました。

 

<腹の痛み>

退院当初は歩いている時に右側ドレイン穴痕当たりが痛みました。空気を大きく吸って腹を膨らませるとドレイン穴痕の下部が痛みました。

 

<気管の痛み>

退院直後は突然、深呼吸をするように空気を吸う動作が意志に関係なく起きることがありましたが、3週間もするとそのような事もなくなり咳をしてタンを出したくなる感じもなくなりました。

 

<診察>

退院1週間後、1回目の診察を受けました。心電図は若干の乱れがありましたが、手術後であるので特に問題となるようなものでは無く又、肺の音に異常は無く利尿剤はやめることになりました。

その2週間後の視察ではレントゲンの結果、肺にまだ水がたまっていることが判りましたが自然に取れる程度のものとのことで、特に処方はありませんでいた。

 

<歯痛>

退院後1ヶ月が経った頃、以前にも痛んだことのある親不知が痛み出しました。歯科医は「本当は抜きたいが心臓の手術後であり1年位は麻酔を控えたいので抜歯は控えたい。また、消炎剤や抗生物質は手術した医師が良いと言えば出します。」との事で手術を行った新東京病院へ電話で問い合わせたところ「小児用バッファリンの服用をやめれば抜歯は可能、抗生物質等は大丈夫」とのことでしたので、歯科にて薬を処方してもらいました。しかし、痛みが引いてきたので消炎剤のみ服用し抜歯は行いませんでした。

 

<食事>

発病前はまともに食べるのは昼食のみで朝は駅そば、夜は飲んで終わりといった食生活でしたが発病以来3回きちんと取るようになりました。それまではあまり食べなかった魚等も努力して食べていますし、コレステロールに配慮した食事になりました。

 アルコールは夕食時にワインを150cc程度毎日飲んでいます。

 

<運動>

3ヶ月程度の車の運転と自転車が禁止されていましたのでどこへ行くにも歩くことにし、毎日最低1時間程度は歩くように心がけました。家を中心に今までは車でしか行かなかった所を歩くことにより新しい発見が多々ありました。ただ、重いものを持てないで買い物等で重いものを買わないように気を付けました。

 

<手帳交付>
 8月8日身体障害者手帳の交付を受けました。申請は1種3級でしたが、1種4級での交付でした。この手帳のおかげで交通費等に便宜を図ってもらっています。

 

<旅行>

9月中旬、手術から1ヶ月半経過した頃新幹線で越後湯沢、富山へ旅行しました。旅行中に右下腹が痛み出し、痛む場所が盲腸のあたりで気になるので旅行先の医院で診察を受けました。検査の結果、腎臓は異常は無い、白血球は5700であり正常の範囲内であるとのことで様子を見ることとしました。しかし、腹痛が続くので急遽予定を繰り上げ帰京し生協病院にて診てもらいました。痛むところは盲腸ですが、ポリープが出来ていて痛むことがあります。とのことで血液検査で炎症があるか検査しましたが結果は、異常なしでした。しかし、痛みは1週間程続き、自然に無くなりました。原因は不明でした。

 

手術後の2ヶ月間はそれ以前の2ヶ月間に比べ非常に早く過ぎた感がします。周りの協力により順調に経過している事はありがたいことです。発病時のあの痛みが手術から2ヶ月を経て多少走っても何ともない事に人間の体の不思議と医学への畏敬の念を感じます。左肩から背中にかけての痛みが現在の最大の苦痛ですがこれは時間が経たなければどうしようもないと思っています。

 

6.社会復帰

当初、私なりの予定では手術後1ヶ月程度で職場へ戻るつもりでいましたが、入院中に山中コーディネータにこのことを話したところ、「無理をしないで休んだ方が良い。」とのアドバイスもあり2ヶ月後を目処に職場復帰を計画しました。

9月も終わりに近づき10月からの職場復帰について打ち合わせ、通勤時間がラッシュにかからないように、以下の日程で勤務することになりました。

 

10/1 〜11 10:00〜12:00

10/14〜25 10:00〜15:05

10/28〜11/8 10:00〜16:30

11/11〜15 8:00〜16:30

11/18以降通常(フレックス)勤務

10時出勤の11月8日迄の朝の過ごし方は朝6時30分に起床し、のんびり新聞を読んだ後風呂に入り7時40分頃朝食を取り8時20分に家を出るといったペースでした。 帰りは、その日の体調をみながら一駅前の東久留米で下車して歩く距離を伸ばしたり、少し遠回りしたりして運動不足にならないように心がけました。

 

11月11日以降8時出勤になってからは5時30分起床、6時20分出発となり、その間に食事、と少し慌ただしい生活に戻ってきました。

 

11月18日以降、通常フレックス勤務になってからは週に1〜2回は10時出勤を入れながら通勤ラッシュを避けるため8時出勤を続けていますが、運動不足気味になってきています。

 

11月18日に入院から5ヶ月半振りに時間的な完全職場復帰を果たしましたが仕事内容は病気の原因がストレスによるものが考えられるので極力ストレスのかからないように周りからも配慮してもらいこちらの方は完全とまではいっていません。

 

退院時に手術後3ヶ月程度は車や自転車の運転をしないようにと言われていたこともあり本格的に車を運転しだしたのは10月末頃からでした。最初はハンドルを回すときに胸がひきつるように痛みました。今でも(12月2日)急角度で曲がる様なときは若干の痛みを感じます。

それでも、休みの日などは疲れない程度に遠出して温泉等にいって気晴らしをしています。

身体の状態は左背中の痛みが9月始めから続いています。痛むときは夜、眠れないこともありましたが1週間位でそのような事もなくなりました。この痛みに対しては、11月になって少し寒くなって来てから背中に使い捨てカイロを入れて通勤しています。

 

胸の傷の痛みはたまに右ドレイン痕がときどき鈍く痛む事、伸びをしたときに胸の切開した傷の右側が痛む事がありますがこちらの方はそんなに苦になるような痛みではありません。

 

退院後の薬歴
・1996年8月 7日〜8月20日

   朝 PE25 (ペルサンチン) *1

     SEK20 (セロケン) *1

     DLF20 (ラシックス) *1

     OG33 (ムコスタ) *1

    (小児用バファリン) *1

   昼 PE25 (ペルサンチン) *1

     OG33 (ムコスタ) *1

   夕 PE25 (ペルサンチン) *1

     OG33 (ムコスタ) *1

    SEK20 (セロケン) *1

  就寝前 (ザンタック) *1

 

・1996年8月21日以降
   朝 (ペルサンチン) *1

     GMG0.67(グリクラミン) *1

            (セロケン) *1

    1日おき (小児用バファリン)*1

   昼 (ペルサンチン) *1

     GMG0.67(グリクラミン) *1

   夕 (ペルサンチン) *1

     GMG0.67(グリクラミン) *1

    (セロケン) *1

 

・1996年10月 1日〜
   ペルサンチンをルーカスに変更 *1

   その他は変わらず

 

(出典:柞山 進さんのホームページhttp://www2a.biglobe.ne.jp/~hosayama/

文字着色はTTトムズ)

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